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名審判・小林毅二が語る監督・長嶋茂雄の記憶 「選手の気持ちは大事ですから、簡単に引き下がるわけには...」

  • 水道博●文 text by Suido Hiroshi

 現役32年で2898試合をジャッジし、日本シリーズにも12度出場した小林毅二氏。審判員から見た長嶋茂雄とはどんな人物だったのか。1994年の「10・8決戦」や2000年日本シリーズの「ON対決」では球審を務め上げた小林氏に聞いた。

1994年、中日との「10・8決戦」で勝利し、リーグ制覇を成し遂げた長嶋茂雄監督(写真左)率いる巨人 photo by Sankei Visual1994年、中日との「10・8決戦」で勝利し、リーグ制覇を成し遂げた長嶋茂雄監督(写真左)率いる巨人 photo by Sankei Visualこの記事に関連する写真を見る

【先発三本柱による執念の継投】

── 小林さんは審判員として現役32年、2898試合に出場。日本シリーズにも12度出場されています。そのなかで、一番思い出に残っている試合は?

小林 球審を務めた1994年の巨人と中日の「10・8決戦」です。もう31年も経つのですね。「優勝がシーズン最終戦にもつれ込んだら、その試合の球審を頼むぞ」という内示が、その2週間ほど前にセ・リーグの山本文男審判部長からありました。

── 129試合を消化した時点で両チームが同率で並び、最終戦となる130試合目(当時)で勝ったほうが優勝というあの伝説の試合。長嶋監督はミーティングで「勝つ、勝つ、勝つ!」と気勢を上げて、名古屋の宿舎を飛び出したそうです。

小林 試合開始の2時間前に審判団は球場入りするのですが、ナゴヤ球場周辺はファン、マスコミ、警備員など人が溢れ、異様な雰囲気でした。試合に入ると両チームともダグアウトから身を乗り出して、戦況を見つめていました。ただ、私自身は審判生活20年を過ぎていましたので、特別な緊張はありませんでした。

── 長嶋監督の継投や代打など、選手起用に関して何か感じたものはありましたか。当時の選手から「国民的行事だと、長嶋監督は腹を括って、試合自体を楽しんでいるようだった」と聞いたことがあります。

小林 長嶋監督にとっても特別な試合であることは間違いないと思いますが、いざ試合に入ればふだんと変わりませんでした。ただ、槙原寛己、斎藤雅樹、桑田真澄の先発三本柱の継投リレーは、今では考えられませんし、長嶋さんの勝利への執念を感じました。一方の高木守道監督は「いつもどおりの野球だ」と、今中慎二のあと、山田喜久夫、佐藤秀樹、野中徹博とつなぎ、エース格の山本昌、郭源治は登板しませんでした。どっちがいい悪いではなく、長嶋さんらしいなと思いましたね。

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