【プロ野球】ソフトバンク和田毅引退インタビュー「後悔なんて1ミリもない。40代に突入してからの野球人生はボーナスステージだった」
和田毅インタビュー(前編)
22年間のプロ野球人生に幕を下ろす和田毅。日本シリーズ終了後に電撃的な引退を発表し、3月15日のオープン戦で"最後のマウンド"に立つ。ストイックなまでに勝負にこだわり続けた左腕が、どのような思いで決断に至ったのか。引退を決めた瞬間、周囲への報告、そして最後まで貫いた信念とは──。
昨年、日本シリーズ終了後に突然の引退発表をした和田毅 photo by Sportivaこの記事に関連する写真を見る
【電撃引退発表の舞台裏】
── 3月15日、引退試合に臨まれます。昨シーズン中ではなく、あえて年をまたいでのオープン戦を選んだのは和田さんの強いこだわりがあったからだと?
和田 引退を発表したのが日本シリーズ終了後だったのもありますけど、それでなくても引退試合をペナントレースのなかではやりたくありませんでした。僕には22年間、真剣勝負をやってきた自負があります。引退試合となれば、相手バッターが三振をしなきゃという空気になるじゃないですか。僕のプライドとして、真剣勝負の22年間で奪ってきたアウトのなかのひとつに、そのアウトを入れたくなかった。
また、そのバッターにもアウトをつけさせてしまうわけで、それが査定に響くかもしれない。あるいはその凡退で打率3割を逃したとか、2割5分だったのが2割4分9厘で終わるかもしれない。だけどオープン戦になれば豪快に三振をしてくれても査定には響かないと思いますし、自分も三振を取って笑って終われると思います。真剣勝負の場で22年間やらせてもらったからこそ、野球界での最後のわがままといいますか。そのような形をお願いしました。
── それにしても昨年秋の引退発表はまさに電撃的でした。
和田 僕の引退を知っていたのは、ごく一部の人だけでしたからね。
── 当日の朝のスポーツ新聞では「現役続行」と報じられていたので、引退発表の衝撃が何倍にも増しました。
和田 前日に何社かのホークス担当の記者さんから電話があって「(現役続行と)書いていいですか?」と。僕は続けるとも辞めるとも言っていませんけど、自由にしてくださいと返事をしていたんです。起きてニュースを見たら「あ、本当に出てる」って。
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著者プロフィール
田尻耕太郎 (たじり・こうたろう)
1978年生まれ、熊本市出身。 法政大学で「スポーツ法政新聞」に所属。 卒業後に『月刊ホークス』の編集記者となり、2004年8月に独立。 九州・福岡を拠点に、ホークスを中心に取材活動を続け、雑誌媒体などに執筆している。