【プロ野球】オリックス平野佳寿はプロの世界にしがみつくためにリリーフ転向も「こだわりはないんです」 (2ページ目)
2010年の平野はいきなりチーム最多の63試合に登板。7勝32ホールド、2セーブ、防御率1.67と好結果を出したのだが、プロ1年目にして先発陣で軸になり得る成績を残していた。未練なく転向できたのだろうか。
「最初の1、2年は投げましたけど、3年目は全然投げられなくて、4年目も苦しかったんで、『中継ぎ』って言われた時に、素直に受け止められたんですね。ただ、それでも『先発したいな』と思いながらでしたけども、『先発したいです』って言えるような実績があったわけでもないですから。
もう正直、先発でどうこうっていうよりも、なんとか一軍でしっかり投げないと、プロ野球にしがみつかないとダメだなっていうふうに思っていた時期だったので。与えられたところでしっかりアピールするだけだなと思っていて、すんなり受け入れられました」
【100%信じる球で勝負する覚悟】
岡田は阪神監督時代、"JFK"と呼ばれた強力リリーフ陣を確立。2005年のリーグ優勝につなげていた。その監督から中継ぎで起用されたことに、何か特別な意識はあったのか。
「それはやっぱりありましたね。僕自身、JFKを見ていたので、ああいうふうな感じになれるんだったらうれしいなって。生みの親の岡田監督でしたから、オリックスに来たらまたつくるのかな......みたいな雰囲気もあったなかで監督の目に留まったと思うので。もしかしたら、ほかの監督に使われるよりも、岡田さんに使われるほうが意気込みは強かったかもしれないです」
この年のオリックスは投打のバランスがよく、打線では若手のT−岡田が本塁打王に輝き、アレックス・カブレラ、後藤光尊と中軸を形成。投手陣は17勝で最多勝の金子千尋が柱となり、抑えは岸田護、ジョン・レスターが務めた。順位は5位ながら、今後に期待できるチームを岡田はつくっていた。そのなかで平野自身、中継ぎになって対バッターの攻め方はどう変わったのだろう。
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