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【プロ野球】オリックス平野佳寿はプロの世界にしがみつくためにリリーフ転向も「こだわりはないんです」 (4ページ目)

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki

 それでも、首脳陣の信頼度は変わらない。2011年に抑えを務めた岸田に代わり、シーズン終盤に9回を任された12年。平野は70登板で7勝9セーブ、21ホールドをマーク。79回2/3を投げて奪三振80、与四球5と、制球力が高いうえに、より多くの三振を奪える投手へとレベルが向上していた。

 そして、監督が岡田から森脇浩司に交代した2013年。先発に転向した岸田に代わる形で抑えとなった平野は、60登板で2勝31セーブ、防御率1.87。5敗を喫したものの、セーブ成功率はリーグトップの94%だった。

「監督やコーチから『抑えだ』とか『9回行け』とか、言われてないかもしれないです。そこで使われたという、それだけですね。で、その後、外国人が抑えになる年があって、僕は中継ぎになったんですけど、その時も『わかりました』って言って。しかも、その外国人がコケてしまって、また僕が抑えに戻るというのもありましたし、本当にこだわりはないんです」

(文中敬称略)

つづく


平野佳寿(ひらの・よしひさ)/1984年3月8日、京都府生まれ。鳥羽高校から京都産業大を経て、2005年にドラフト希望枠でオリックスに入団。1年目から開幕ローテーション入りを果たし7勝をマーク。5年目に中継ぎに転向すると、11年に最優秀中継ぎ投手、14年に最多セーブのタイトルを獲得するなど、球界を代表するクローザーに君臨。17年には日本代表として第4回WBCに出場。同年オフ、海外FA権を行使しアリゾナ・ダイヤモンドバックスへ移籍。1年目は75試合に登板し、4勝3敗3セーブ、防御率2.44の成績をマーク。20年はシアトル・マリナーズ、21年から再びオリックスに戻りプレーし、チームのリーグ3連覇に貢献した

著者プロフィール

  • 高橋安幸

    高橋安幸 (たかはし・やすゆき)

    1965年、新潟県生まれ。 ベースボールライター。 日本大学芸術学部卒業。 出版社勤務を経てフリーランスとなり、雑誌「野球小僧」(現「野球太郎」)の創刊に参加。 主に昭和から平成にかけてのプロ野球をテーマとして精力的に取材・執筆する。 著書に『増補改訂版 伝説のプロ野球選手に会いに行く 球界黎明期編』(廣済堂文庫)、『根本陸夫伝 プロ野球のすべてを知っていた男』(集英社文庫)など

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