【プロ野球】オリックス平野佳寿はプロの世界にしがみつくためにリリーフ転向も「こだわりはないんです」 (3ページ目)
「先発の時は、いかに見せないかとか、ある球種を見せずに抑えて、2打席目、3打席目で見せるとか、いろいろやっていましたけど、中継ぎになってからは自分のいいボールで勝負するだけでしたね。真っすぐでも変化球でも。ちょっと変な余裕を見せると痛い目に遭うこともあるので、100パーセント自分の信じている球でしか勝負できないのかなと。今もそう思います」
平野の「いいボール」と言えば、10年に最速156キロを計測した真っすぐにスライダー、フォーク。コントロールは大学時代から正確無比だったが、プロ入り後はストライクゾーンの四隅を狙うのではなく、ストライクゾーンで勝負することを覚えたという。
「大学の時は四隅を狙ってボール球でも、勝手にバッターが振ってくれたわけです。それがレベルの高いプロでは振ってくれない。『ボール』と判定されて苦しくなるのを、1年目に経験したんです。変化球でも、ストライクからボールになる球を投げても空振りを取れないときがあるから、ストライクからストライクのボールで空振りを取れるように持っていかないといけない。
それでどんどんストライクで勝負するようにしたら、案外、テンポよくいけたんです。ただ、中継ぎになってからは、変化球よりもおもに真っすぐを投げていましたね。真っすぐが強い時期でしたから。岡田さんから『変化球はワンバンにせえ。振らさんでいい。変化球があると思わせるだけでいいから。真っすぐをどんどん使っていけ』って言ってもらえたこともあって、自信を持って投げていましたね」
【驚異のストレート比率】
当時、平野の投球割合は凄まじい。中継ぎに転向した2010年は真っすぐが全投球の70%。最優秀中継ぎ投手賞に輝いた11年は81%にまで達し、球界随一の割合。これはまさにJFKのひとりである藤川球児の全盛期をしのぐ数字だった。
「でも真っすぐを投げて打たれたら、岡田さんによう怒られましたけどね(笑)。『真っすぐで押しすぎや。変化球も使わなアカンやろう』って。『真っすぐ強いんやから、真っすぐでどんどんいけよ。そのへんの変化球で打たれるよりもええやろ』って、ずっとおっしゃってくれていたので......難しいなと思ったことはあります(笑)」
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