検索

篠塚和典から見た引退後の吉村禎章は「ひと回りもふた回りも大きくなった」 巨人のリーグ優勝に貢献した手腕も称賛 (3ページ目)

  • 浜田哲男●取材・文 text by Hamada Tetsuo

――篠塚さんと吉村さんは、春と夏の違いはありますが甲子園で優勝を経験し(※)、高卒で巨人へ入団。現役から引退後の指導者時代も含めて巨人ひと筋、侍ジャパンではそれぞれ打撃コーチを務めるなど共通点が多いですね。篠塚さんにとって吉村さんはどんな存在ですか?

(※)篠塚氏は1974年夏の大会で、銚子商の4番として優勝に貢献。吉村氏は1981年春の大会で、PL学園の主力として優勝に貢献した。

篠塚 それはもう、気になる存在ですよ。長年一緒に戦ってきた仲間でもありますしね。先ほど(前編で)もお話したように、ヨシが入団してきた時にバッティングを見て、「一緒に戦えそうな選手が来てくれたな」と思いました。タイプとしては後輩の高橋由伸にも近いというか、硬・軟が使い分けられるバッターでしたね。

 だからこそ、ああいう大ケガ(※)をしてしまったことは自分の頭のなかにずっと残っています。「ケガをしなければどのくらいの選手になっていたのかな」と考える時もありますね。

(※)1988年7月6日、札幌円山球場での中日戦の守備中に起きたケガ。吉村氏がレフトフライを捕球した際、センターの栄村忠広氏と激突し、左膝の4本の靭帯のうち3本を断裂。

 だけど、そういうケガを乗り越え、復帰後は以前のようなバッティングはできなかったかもしれませんが、引退までしっかりとプレーしていましたし、周囲からも信頼されていたんじゃないですか。若い頃の岡本和真を指導したり、中日からライデル・マルティネスを、内外野を守れるアストロズのトレイ・キャべッジを獲得したり、フロントで非常に重要な役割を担っています。今後も彼の活躍に注目していきたいと思います。

【プロフィール】

■篠塚和典(しのづか・かずのり)

1957年7月16日生まれ、東京都出身、千葉県銚子市育ち。1975年のドラフト1位で巨人に入団し、3番などさまざまな打順で活躍。1984年、87年に首位打者を獲得するなど、主力選手としてチームの6度のリーグ優勝、3度の日本一に貢献した。1994年を最後に現役を引退して以降は、巨人で1995年~2003年、2006年~2010年と一軍打撃コーチ、一軍守備・走塁コーチ、総合コーチを歴任。2009年WBCでは打撃コーチとして、日本代表の2連覇に貢献した。

【写真】読売ジャイアンツ「ヴィーナス」オーディション密着取材・フォトギャラリー

3 / 3

キーワード

このページのトップに戻る