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赤星憲広が語る藤川球児の覚醒前夜 戦力外寸前から虎の守護神になるまで 「実際、トレードの話はあった」 (3ページ目)

  • 水道博●文 text by Suido Hiroshi

── 2008年はマジックを点灯させながら、北京五輪後に大失速。リーグ優勝を逃し、日本シリーズにも進出できず、岡田監督は辞任しました。

赤星 岡田監督は「最後におまえで終われてよかった」と、球児に伝えたそうです。あのふたりにしかわからない感情があったのだと思います。僕は悔しかったというより、いろんな思いが交錯していました。ただやはり、「球児が打たれたのだから仕方ない」と思っていました。

【岡田野球の継承】

── 藤川監督は「岡田監督の野球の継承」を公言し、「現在は岡田監督がつくった成熟のチーム。3点ほど取って、きっちり終わる安定の野球」とも言っています。具体的にどういう野球だと思いますか。

赤星 藤川監督は投手出身ですから、やはり投手を中心とした「守り勝つ野球」ということです。

── 岡田監督は「四球は安打と同じ」と意識改革もしました。

赤星 本塁打を打ちまくって勝つチームではないですから、四球で出塁して、少ないチャンスをモノにする。昨年は地の利を生かして、本拠地で43勝27敗2分という好成績を挙げました。今年は球団創設90周年とメモリアルイヤーです。徐々に"藤川流"の野球が見られると思います。期待は膨らむばかりですね。

つづく>>


赤星憲広(あかほし・のりひろ)/1976年4月10日、愛知県出身。大府高校から亜細亜大、JR東日本に進み、2000年のドラフトで阪神から4位指名を受け入団。1年目の01年に盗塁王と新人王を獲得、以後05年まで5年連続盗塁王を獲得し、プロ通算381盗塁は球団最多記録。07年には通算1000本安打達成。09年9月、試合中のダイビングキャッチで脊髄を損傷し、同年12月に現役引退。現在は野球解説者、スポーツコメンテーターとして活動している

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