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中学時代は準レギュラー、高校での実績も皆無 市立松戸の遊撃手・広瀬結煌はいかにしてプロの扉をこじ開けたのか

  • 高木遊●文 text by Takagi Yu

 公立校の無名の存在からプロ野球選手へ。「ここからが勝負」とはいえ、指名されたあとくらいは浮かれていいと思うのだが、広瀬結煌(ゆうき)はすでにその重みを感じとっていた。

 ドラフト会議翌日に訪れた千葉県の市立松戸高校のグラウンドで、ソフトバンクから育成4位指名を受けた感想を聞くと、広瀬は「指名は素直にうれしいのですが、育成契約の3年という期間で結果を出していくというなかでは、覚悟を決めていかないとと思っています」と、引き締まった表情で話した。

昨年のドラフトで、ソフトバンクから育成4位で指名された市立松戸の広瀬結煌 photo by Takagi Yu昨年のドラフトで、ソフトバンクから育成4位で指名された市立松戸の広瀬結煌 photo by Takagi Yuこの記事に関連する写真を見る

【中学時代は準レギュラー的存在】

 千葉県内でもその名を知る人はわずかだった遊撃手は、いかにして夢への挑戦権をつかんだのか。

 2021年のドラフトでも、ソフトバンクに育成選手として右腕の瀧本将生(今季からオイシックス新潟アルビレックスBC)を送り込んだ市立松戸の朝隈智雄監督に「広瀬を最初に見た時、プロ野球選手になれそうな予感があったか」を尋ねると、「正直、まったくありませんでした」と苦笑いを浮かべた。

 それも無理はない。今でこそ身長182センチ、体重75キロの均整の取れた体格の広瀬だが、中学時代の身長は160センチをわずかに超えるほどで、体重も60キロに満たない痩身の二塁手。硬式野球クラブの流山ボーイズではレギュラーに定着できず、準レギュラーのような存在だった。

 それでも中学2年時から広瀬を見ていた朝隈監督が「中学3年からグングンと背が伸びました」と話すように、早生まれ(2月22日生まれ)の影響もあってから、周囲から遅れをとって徐々に成長。

 広瀬が「朝隈先生の知識はすごいなと思って、人としても野球選手としても成長すると思いました」と、千葉大大学院でスポーツ科学の修士課程を修了した朝隈監督を慕って入学すると、さらに成長速度を上げていく。

 朝隈監督が「体と経験はまだまだでしたが、手元がすごくしっかりしていました」と、1年夏から守備固めとしてベンチに入れると、秋からは正遊撃手として起用を続けた。そしてその冬から、自他ともに一番のセールスポイントという守備を徹底的に磨いていった。

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著者プロフィール

  • 高木 遊

    高木 遊 (たかぎ・ゆう)

    1988年生まれ、東京都出身。大学卒業後にライター活動を開始し、学童・中学・高校・大学・社会人・女子から世代別の侍ジャパン、侍ジャパントップチームまでプロアマ問わず幅広く野球を中心に取材。書籍『東農大オホーツク流プロ野球選手の育て方〜氷点下20℃の北の最果てから16人がNPBへ〜』(樋越勉著・日本文芸社)『レミたんのポジティブ思考"逃げられない"な"楽しめ"ばいい!』(土井レミイ杏利著・日本文芸社)『野球で人生は変えられる〜明秀日立・金沢成奉監督の指導論(金沢成奉著・日本文芸社)では、編集・構成を担当している。

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