江川卓「空白の一日」からの巨人入りに八重樫幸雄は「読売やりやがったな」と嫌悪感を抱いた (3ページ目)
「酒井は速かったね。ふつうは高めが速いじゃない。でもあいつは低めが速い。ほかの投手だったら地面に垂れるようにボールが沈んでいくが、あいつの場合は逆で、飛行機が離陸するような感じでグッと伸びていく。高卒ルーキーとしてすごいじゃなくて、プロの投手としてすごかった。何人もの速球派のピッチャーを受けたけど、あんなに速い低めのボールは見たことがなかった」
そんな酒井も、プロ14年間で挙げた勝ち星はわずか6勝に終わっている。八重樫はその理由について、こう語った。
「コントロールをつけるためにフォームをちょっと直されたらしいんだけど、それよりも原因は神宮での南海とのオープン戦。酒井が先発し、定岡のお兄ちゃん(智秋)に投げた外の真っすぐがちょっとだけスライスしたんですよ。そしたらバットの先に当たって、ピッチャーに向かって飛んでいった。酒井は打球を捕ろうとしたんだけど、グラブを出すタイミングが遅れて、ボールが左頬を直撃。陥没骨折となって、そこから目の焦点が合わなくなっておかしくなった。それがなかったから全然違っていたと思います。
中継ぎで頑張りましたけど、そんなレベルじゃないですよ。あいつが一軍の中継ぎとして放れるようになった時は、変化球ピッチャーでしたからね。大舞台で投げた経験があったから一軍の試合でも放れましたけど、それを経験していなかったら、たぶん1年は持たなかったと思いますよ」
あれだけのケガを負いながらも、甲子園の経験があったからこそ一軍のマウンドに立つことができたと八重樫は振り返った。
高校、大学と大舞台で歴史に残るような記録をつくり上げた江川なら、最高峰のプロのステージでも活躍できて当然。さらに、神から授かった恵まれた肉体と抜群の野球センスがあったのだから、もっともっと偉大な記録を打ち立てられたはずと、八重樫は思っている。
八重樫は江川と対決したことを「夢の中でバッティングをやっている感じ」だったと表現した。それほど江川のボールは、プロの目から見ても"ドリームボール"だった。
(文中敬称略)
江川卓(えがわ・すぐる)/1955年5月25日、福島県生まれ。作新学院1年時に栃木大会で完全試合を達成。3年時の73年には春夏連続甲子園出場を果たす。この年のドラフトで阪急から1位指名されるも、法政大に進学。大学では東京六大学歴代2位の通算47勝をマーク。77年のドラフトでクラウンから1位指名されるも拒否し、南カリフォルニア大に留学。78年、「空白の1日」をついて巨人と契約する"江川騒動"が勃発。最終的に、同年のドラフトで江川を1位指名した阪神と巨人・小林繁とのトレードを成立させ巨人に入団。プロ入り後は最多勝2回(80年、81年)、最優秀防御率1回(81年)、MVP1回(81年)など巨人のエースとして活躍。87年の現役引退後は解説者として長きにわたり活躍している
著者プロフィール
松永多佳倫 (まつなが・たかりん)
1968 年生まれ、岐阜県大垣市出身。出版社勤務を経て 2009 年 8 月より沖縄在住。著書に『沖縄を変えた男 栽弘義−高校野球に捧げた生涯』(集英社文庫)をはじめ、『確執と信念』(扶桑社)、『善と悪 江夏豊のラストメッセージ』(ダ・ヴィンチBOOKS)など著作多数。
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