江川卓「空白の一日」からの巨人入りに八重樫幸雄は「読売やりやがったな」と嫌悪感を抱いた (2ページ目)
【江川卓との初めての会話】
八重樫にとって、ピッチャーではなく人間としての江川をどのように見ていたのか。
「いいピッチャーだと思いながらも、後輩だから『この野郎!』と思っちゃう時もある。江川って、どちらかというと淡々とムスッとしながら放るじゃないですか。それでも抑えられるから、なおさら腹が立ってくるんですよ。
キャッチャーは別として、江川としゃべっているヤツを見たことがないんです。監督は話しかけているけど、あいつがペラペラしゃべっているところを見たことありますか? そういう場面を見たことがないわけですよ。テレビに出ていてもシャクに触るし、あの"空白の一日"があっため、一般の方も江川のことを嫌いだった人は多かったと思いますよ」
ところが、そんな印象をガラッと変える出来事が起きた。
「宮崎の西都で秋季キャンプをやっている時に現役を引退したばかりの江川が来たんです。飛行機嫌いの、あの江川が来たんですよ。ブルペンに来て『八重樫さん、こんにちは』ってあいさつするから、『何で来たの? 電車?』って聞いたら、『いやいや、飛行機で来ました』って。その時に初めてしゃべった。しばらくピッチャー陣の投げ込みを見て、『いいピッチャーになりますね』と何人か名指しで言ってくれましたね」
八重樫は現役時代に抱いていた江川のイメージを完全払拭とまではいかないが、殊勝な態度に驚いたという。
【夢の中でバッティングしている感じ】
ヤクルトで23年間プレーした八重樫は、松岡弘、安田猛、井原慎一朗、梶間健一、尾花高夫、荒木大輔......数々の投手の球を受けてきた。そのなかでも忘れられないピッチャーを挙げてほしいと尋ねると、少し時間を置いて「サッシー」と答えてくれた。
サッシーこと酒井圭一は、"江川フィーバー"から3年後の1976年、夏の長崎県大会3回戦で島原中央に16連続奪三振を記録するなど、圧倒的なピッチングを披露して甲子園出場を果たした。甲子園では準決勝でPL学園に敗れたが、5試合で被安打16、失点6、奪三振40の成績を残し、"サッシーブーム"を巻き起こした。同年秋のドラフトでヤクルトから1位指名を受け入団を果たした。
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