江川卓のストレートを篠塚和典は「マシンで170キロに設定した球筋に似ている」と言った (2ページ目)
得点圏にランナーが進むと、突如ギアを入れると言われていた江川。もちろんセカンドを守っていた篠塚も、ギアが入った瞬間は一目瞭然だった。
【同世代のライバルとの比較】
ここで篠塚に、江川の全盛時代と同時期に活躍したライバル投手との比較を語ってもらった。
江川と同級生で、唯一対抗できたライバルと言われていた大洋の遠藤は、150キロ近いストレートとフォークを武器に、1983、84年と2年連続最多勝を獲得した本格派。そして「150キロの申し子」と言われた中日の小松は85年、87年に最多勝を獲っている。
「遠藤さんは真っすぐというより、どうしてもフォークを意識しちゃうよね。だからフォークを意識するあまり、真っすぐが速く感じてしまうというのはありました。小松の真っすぐはちょっとシュート回転している感じで、低めにズドンとくる感じの球でした。
それで江川さんの球は、本当にきれいなスピンの効いた真っすぐ。だから、リリースから落ち幅が少ないんだよね。上から投げる以上、ボールは絶対に垂れるわけじゃないですか。よく浮いている感じの球って言いますけど、ホップすることは物理上絶対にない。ただマシンで160キロや170キロに設定すると、少しホップするような球筋になる。江川さんの球はそれに似た球質なんです。
バッターというのは、上から投げてくる軌道に合わせてバットを出すのですが、江川さんが投げるボールに合わせてバットを出すと、どうしてもボールの下を振って空振りになってしまう。それだけ回転がよくて、落ち幅が少ないってことなんですよね」
篠塚ほどのバッターであれば、ボールの軌道を瞬時に予測してバットを合わせることができるが、それが江川の場合はストレートとわかっていてもボールの下を振ってしまう。プロのバッターが予測不能になるくらいなのだからすごいのだ。
1981年にドラフト1位で巨人に入団し、2年目の83年に150キロのストレートを連発して12勝を挙げ、「若き速球王」として巨人三本柱(江川卓、西本聖、定岡正二)に迫るピッチングをしていた槙原寛己との比較にも言及した。
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