阪神の元祖・二刀流助っ人、トレイ・ムーアが振り返る 「2003年の優勝」と「闘将・星野仙一」 (5ページ目)
【2年連続2ケタ勝利もクビに】
ファンに強烈な印象を残したムーア氏だが、意外なことに阪神でのプレーは2年間のみ。長年タイガースでプレーしながら優勝の美酒を浴びることなくユニフォームを脱いでいく選手が多いことを考えると、彼の野球人生は「もっていた」と言えるだろう。
しかし優勝を果たした2003年、2ケタ勝利を挙げたものの、シーズンオフにオリックスへ移籍となった。
「あれはトレードじゃなく、クビになったんだ。たしかに2シーズン連続して10勝したけど、負けも多かったからね。それにしても、当時のセ・リーグとパ・リーグは全然環境が違ったね。オリックスはお客も少なかったし......それにパ・リーグはDH制だし、打席に立つこともなかった。ピッチングスタイル的にも、僕はセ・リーグのほうが合っていたと思う」
オリックスでは契約に打撃査定も盛り込まれたが、結局、打席に立つことはなかった。それでリズムを崩したというわけでもなかったのだろうが、6勝を挙げたものの防御率は6.24。シーズン終盤は二軍暮らしとなった。
2004年シーズンが終わると、近鉄との合併を前にオリックスは外国人選手を整理。ムーア氏にもリリースが言い渡された。韓国リーグからオファーがあったが、収入を半減させてまで助っ人生活を続けようとは思わず、31歳で引退を決めた。
「本当はMLBの球団からもオファーはあったんだけど、今さら招待選手やマイナーでプレーするつもりもなかったしね」
それから20年。故郷テキサスでは好きなことをしながら悠々自適の生活をしているようだ。クルージングが趣味で、引退後に結ばれた今の夫人とアラスカやメキシコ、フロリダへ出かけているという。来日中、ファンに取り囲まれたムーア氏を見て、「まるでムービースターのようだわ」と驚いていた夫人も惚れ直したことだろう。
最後に、日本での一番の思い出を尋ねると、ムーア氏は即答した。
「もちろん優勝さ。メジャーでも経験がないからね。日本の場合、胴上げがあるだろう。あれもアメリカにはない習慣だから、面白かったね。今のタイガースもなかなかタフな状況だけど、ネバー・サレンダーさ。ぜひ優勝してほしいね。なにしろ『ハンシンファンハ、イチバンヤー』なんだから」
スキンヘッドを光らせながら、ムーア氏はエールを送った。
トレイ・ムーア/1972年10月2日、アメリカ・テキサス州出身。2001年モントリオール・エクスポズ(現ワシントン・ナショナルズ)からアトランタ・ブレーブスに移籍、02年に阪神に入団 。来日1年目から先発ローテーション投手として27試合に登板し10勝をマーク。翌年も10勝を挙げる活躍で、チーム18年ぶりの優勝に貢献。打撃のセンスにも長けおり通算打率は.295と野手顔負けの記録をマーク。トレードマークの口ヒゲと、お立ち台での「阪神ファンは一番や!」の絶叫で人気を博した。04年にオリックスに移籍するも1年で退団し、現役を引退した
著者プロフィール
阿佐 智 (あさ・さとし)
これまで190カ国を訪ね歩き、22カ国で野球を取材した経験をもつ。各国リーグともパイプをもち、これまで、多数の媒体に執筆。国内野球についても、プロから独立リーグ、社会人野球まで広くカバー。数多くの雑誌、ウェブサイトに寄稿している。2011、2012アジアシリーズ、2018アジア大会、2019侍ジャパンシリーズ、2020カリビアンシリーズなど国際大会取材経験も豊富。
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