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阪神の元祖・二刀流助っ人、トレイ・ムーアが振り返る 「2003年の優勝」と「闘将・星野仙一」 (3ページ目)

  • 阿佐智●文 text by Asa Satoshi

 藪氏との対談のなかでもっとも盛り上がったのは、チームを18年ぶりの優勝に導いた星野仙一監督の話だった。

「彼はとても存在感のある人物で、いつも威厳があったね。競った試合では、いつもエキサイトしていたね(笑)。でも、常に選手たちをリスペクトしていたよ。僕にも丁寧に接してくれていたよ」というムーア氏に、「おまえは、本当の星野さんを知らない!」と藪氏が突っ込むと、取材スタッフ一同が沸いた。

 そして話題は、トレードマークのヒゲへ。今は白いものが混じってはいるが、ヒゲ面はあの日のままだ。しかし、これは今回の来日に合わせて「復刻」したのだという。ファンのイメージを大切にしたいという思いから、体重も10キロ近く減らしてきた。

 アメリカではあごヒゲだけにしたり、頬ヒゲも生やしたりしていたのだが、口ヒゲだけは剃っていた。

「女房がキスする時に嫌がるんだ」と、ムーア氏が愛妻家ぶりを発揮すると、再び場が沸いた。

【日本では二刀流で活躍】

 阪神時代のムーア氏は、ピッチングだけでなく、バッティングでもたびたびチームを救った。日本での通算打率は2割9分5厘。今回、各メディアのインタビューでは必ずといっていいほど「二刀流(ツーウェイ)」の言葉が出てきた。

「打撃はアマチュア時代から、僕のプレーの一部だったんだ。高校、大学とすべてのポジションを守ったからね。ただし、大谷翔平みたいにはいかないけどね(笑)。彼はベースボールの歴史のなかで誰もやったことのないことをしているし、今後も彼みたいなプレーヤーは現れないだろう」

 来日1年目の2002年には、神宮球場でのヤクルト戦で三塁打を放っているが、ムーア氏はその三塁打よりも東京ドームの巨人戦で放った三塁打が記憶に残っているという。

 ムーア氏にとっても巨人戦は「別物」だったようで、不動の4番だった松井秀喜氏は当時の日本の打者で最も印象に残っているという。

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