阪神の連覇は望み薄? セ・リーグ優勝争いの行方を伊勢孝夫が読み解く (3ページ目)
また捕手について、今シーズン前半戦、大城は二軍落ちも経験するなどあまり起用されなかった。ここにきて小林誠司、岸田行倫が打てなさすぎたこともあり出場機会は増えたが、投手をリードする捕手としての大城の思いやりのなさが耐えられなかったのだろう。阿部監督は、成績や技術の前に「戦う姿勢」や「必死さ」を選手に求める。それが選手にしてみれば"恐怖政治"に映ることもあるのだろう。阿部監督は選手起用に妥協しないから、気がつけば駒不足......そんなシーズンを送っているように見える。
阿部監督が恐怖政治なら、岡田監督は"独裁者"という表現が一番しっくりくる。コーチの意見は聞かず、自分のやり方を貫き通す。こういうチームは、残りわずかになってもベンチの采配がブレることはない。
不安があるとすれば、「監督を胴上げしたい」と思っている選手がどれだけいるのかということだ。なかには「くそったれ!」と思っている選手もいるかもしれない。もちろん、これはあくまで私の想像であるが、首脳陣と選手の気持ちが離れることなんていくらでも見てきた。
空中分解するか、逆に結束するか、この先チームがどうなるかはわからないが、ひとつ言えることは、阪神の選手たちは「優勝の味」を知っているということだ。言い換えれば、負ける怖さも知っている。だから、心のなかでどう思っていても、選手たちが腐ることはないだろう。監督に対する、いわば"負のエネルギー"みたいなものが、ここからは戦うモチベーションになる可能性は十分にある。
まさに三者三様。それだけに最後まで優勝はわからない。ただひとつはっきりしていることは、慣れないことはしないことだ。普段バントさせなかった選手にさせたり、先発投手のローテーションを変えたり......「ここからが勝負だ!」と緊張感をもたらす効果はあるかもしれないが、普段やらないことは得てして失敗するものだ。
それでも優勝するには、「最後の勝負どころ」が訪れるはず。そこでどのような采配でチームを導いていくのか。監督の腕の見せどころだ。
伊勢孝夫(いせ・たかお)/1944年12月18日、兵庫県出身。62年に近鉄に入団し、77年にヤクルトに移籍。現役時代は勝負強い打者として活躍。80年に現役を引退し、その後はおもに打撃コーチとしてヤクルト、広島、巨人、近鉄などで活躍。ヤクルトコーチ時代は、野村克也監督のもと3度のリーグ優勝、2度の日本一を経験した。16年からは野球評論家、大阪観光大野球部のアドバイザーとして活躍している
著者プロフィール
木村公一 (きむらこういち)
獨協大学卒業後、フリーのスポーツライターに。以後、新聞、雑誌に野球企画を中心に寄稿する一方、漫画原作などもてがける。韓国、台湾などのプロ野球もフォローし、WBCなどの国際大会ではスポーツ専門チャンネルでコメンテーターも務める。
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