10年目の斎藤佑樹を襲ったプロ野球人生最大の悪夢 「ファイターズが契約してくれる以上は自分にできることをやるしかない」
一軍で一度も登板機会がなかったプロ10年目──新型コロナウイルスの感染拡大によって開幕が6月にずれ込んだ2020年、斎藤佑樹は二軍で19試合に登板している。その19試合目が10月16日、イースタン・リーグのジャイアンツ戦だった。この試合にリリーフで登板する予定だった斎藤を、悪夢が襲う。
2021年のキャンプで入念にフォームをチェックする斎藤佑樹 photo by Ichikawa Mitsuharu(Hikaru Studio)この記事に関連する写真を見る
【なかなか抜けない右ヒジの張り】
あの日、ジャイアンツ球場のブルペンでリリーフの準備をしていたら、右ヒジに異変を感じたんです。それまでにもヒジが張るとか、なかなか張りが抜けないことはありましたが、あの時はハッキリと痛みを自覚させられました。
試合前のブルペンではいつも30球ぐらい投げれば温まってくるのに、何球投げてもその感じになりません。結局、70球ぐらい投げたのかな......それでもヒジは温まらず、仕方なくそのまま試合に臨みました。この感覚ではチェンジアップに頼ってゴロを打たせるしかないと思っていました。
なぜヒジが痛むのかということより、マウンドでどうすれば凌げるのかということばかりを考えていました。投げないほうがいいという感覚にはならなかったんです。なぜなんでしょうね......きっと、何とかなると思ったんでしょう。ヒジに張りがあっても、思い描くボールが投げられなくても、引き出しを開ければ何とかできると思ってしまう。よきにつけ悪しきにつけ、それが普段の僕の発想でした。
ジャイアンツ球場のマウンドへ上がったのは6回裏です。正直、誰に何を投げたとか、まったく覚えていないんです。引っかけてワンバウンドのボールを投げてしまったこと、ボールがとんでもないところへ抜けたことは覚えていて......ああ、そういえばジャイアンツの打線にダイさん(陽岱鋼)がいましたね。試合前に話したんですけど、対戦していたのかな......バッターと戦う前に自分と戦っていましたからね。
ヒジが痛い、ボールがいかない、どうしようと、もうパニックです。それでもなぜか、(ヒジが)壊れる怖さはありませんでした。これまでにもヒジが痛い、肩が痛い、腰が痛いと、慢性的な痛みを抱えながら投げたことは何度もありましたし、とにかくアウトをひとつ取るにはどうしたらいいんだと、ピッチングの組み立てを必死で考えていたような気がします。
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著者プロフィール
石田雄太 (いしだゆうた)
1964年生まれ、愛知県出身。青山学院大卒業後、NHKに入局し、「サンデースポーツ」などのディレクターを努める。1992年にNHKを退職し独立。『Number』『web Sportiva』を中心とした執筆活動とともに、スポーツ番組の構成・演出も行なっている。『桑田真澄 ピッチャーズバイブル』(集英社)『イチローイズム』(集英社)『大谷翔平 野球翔年Ⅰ日本編 2013-2018』(文藝春秋)など著者多数。