高校時代ホームラン0本の小笠原道大が「フルスイング」を武器にプロ球界屈指の強打者になるまで (2ページ目)

  • 水道博●文 text y Suido Hiroshi

── 三冠王3度の落合さんの打撃を間近に見て、あらためて落合さんのすごさは何だと思いましたか。

小笠原 私も結果的に首位打者、本塁打王、打点王のタイトルを獲らせていただきましたが、自分が踏み入れていない領域なので、落合さんのことを語るのはおこがましいです。あえて言わせていただければ、まず自己分析力があって、打席での状況判断力、選球眼、ミート力、長打力......と、すべてがすごい。だから残した数字が図抜けています。

【バントをしない強打の2番打者】

── プロ3年目の1999年、レギュラー奪取のきっかけは?

小笠原 落合さんが1998年を最後に引退しました。私は捕手と一塁を守っていたのですが、当時守備コーチだった古屋(英夫)さんが「一塁だけでやらせてやってくれないか」と上田(利治)監督に頼んでくれたんです。1999年のオープン戦で全試合フルイニング出場して、打撃成績も上位で、開幕スタメンを勝ちとることができました。

── 4月7日には松坂大輔投手のプロ初登板試合で、本塁打を放ちました。

小笠原 当時の自分は、結果を求めて前に向かって突き進んでいた時期でした。松坂投手がのちに大投手へと成長したから、あの本塁打がクローズアップされたわけで、あの一打がレギュラー獲得のきっかけになったわけでもないですし、私のなかでは対戦した投手のひとりという印象しかありません。

── そのシーズン、135試合に出場して、156安打、打率.285、25本塁打、83打点。「バントをしない2番打者のパイオニア的存在」として脚光を浴びました。

小笠原 僕が初めてということではなく、上田監督は「強打の2番打者」ということをもっと前にやられていました。上田さんが阪急(現・オリックス)の監督としてリーグ4連覇を果たした1978年、福本豊さんのあとを打つ2番に簑田浩二さんがいました。蓑田さんは83年に"トリプルスリー(3割、30本塁打、30盗塁)"をマークした強打者です。それ以前にも西鉄(現・西武)の豊田泰光さんが首位打者を獲った1956年に2番を打っていました。

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