斎藤佑樹が「このまま野球ができなくなったらどうしよう」と不安だった日々 785日ぶりの勝利に「第二の野球人生が始まる」
プロ4年目の2014年、斎藤佑樹は二軍の試合で投げながら復調のきっかけをつかもうとしていた。6月7日には室蘭でベイスターズの二軍を相手に、それまでとはまったく違うピッチングを見せた。ストライクゾーンで勝負を挑み、ワンバウンドは97球のうち8球。そのすべてが慎重になっての置きにいったワンバウンドではなく、腕を振りきってのワンバウンドだった。
785日ぶり勝利を挙げ栗山英樹監督(写真左)から祝福を受ける斎藤佑樹 photo by Sankei Visualこの記事に関連する写真を見る
【ピンチに真っすぐで勝負したい】
あの日は手応えのあるピッチングができました(7回を投げて2失点)。ストライクを先行させることと、ストライクゾーンの真っすぐで勝負すること。その2つをテーマに、どちらについてもいい感じで投げられていたと思います。
なぜそういうピッチングができたのかと言えば、ど真ん中でも打たれるとは限らない、と思えたことが大きかったと思います。打たれたくない、打たれちゃいけないと考えすぎて、慎重になってしまっていた。
でも、ど真ん中に投げても、バッターが振らなければストライクをとれるし、振ってきても打ち損なえばアウトをとれるんです。技術的には何も変えなくても、考え方を変えれば勝負できるのかと思ったら、ワンバウンドのボールも質が変わってきました。
大学までの僕は抑えることのほうが多かったので、打たれたとしても次のバッターを抑えることで上書きできていたんです。でもプロでは抑え方もバラバラ、三振も思うようにとれないし、自分がゴロアウトをとるピッチャーなのか、フライを打たせるピッチャーなのか、ピッチャーとしての特性を理解しないまま投げていた......こうやって投げたら抑えられるという自分なりの抑え方がわかっていなかったので、上書きできないまま、打たれた記憶だけが残って怖さだけが蓄積していった気がします。
その後、遠軽での試合(7月5日)では、1カ月前には慎重になりすぎてワンバウンドを連発したライオンズ(二軍)を相手に、完璧なピッチングができました(5回、81球を投げて無四球、無失点)。
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著者プロフィール
石田雄太 (いしだゆうた)
1964年生まれ、愛知県出身。青山学院大卒業後、NHKに入局し、「サンデースポーツ」などのディレクターを努める。1992年にNHKを退職し独立。『Number』『web Sportiva』を中心とした執筆活動とともに、スポーツ番組の構成・演出も行なっている。『桑田真澄 ピッチャーズバイブル』(集英社)『イチローイズム』(集英社)『大谷翔平 野球翔年Ⅰ日本編 2013-2018』(文藝春秋)など著者多数。