斎藤佑樹が「このまま野球ができなくなったらどうしよう」と不安だった日々 785日ぶりの勝利に「第二の野球人生が始まる」 (4ページ目)

  • 石田雄太●文 text by Ishida Yuta

 次の一軍での先発(7月31日)は千葉でのマリーンズ戦でした。その試合、僕は6回を投げて、本当に久しぶりの勝ち星がつきました(被安打6、与四球5、失点1、2012年6月6日以来、785日ぶりの白星)。

 1失点は(2回の先頭バッターだった)角中(勝也)さんに打たれたホームランでした。立ち上がりから毎回、ピンチを背負いましたが、それでも得点圏にいたランナーをひとりもホームへ還すことはありません。ストレートもスライダーもストライクゾーンに投げられたので、ボール球が2球続かないピッチングになりました。そうすると2−2の平行カウントをつくることができて、追い込んでからの変化球はバットを振らせることができます。あの日はそんなピッチングができていました。

 打線が6回表に逆転してくれて、3−1とファイターズがリードしたまま、9回裏を迎えます。ベンチでグラウンドを見つめながら考えていたのは、1年前のことでした。春のキャンプではまったく投げることができず、このまま野球ができなくなったらどうしようと不安な毎日を過ごしていました。

 久しぶり......785日ぶりだったかな? その勝ちがついた時、僕は苦しい時間があったから、この勝ちがあるんだと思えました。野球ができなくても死ぬわけじゃないけど、野球ができればこんなにいいことがある。その時は苦しいと思っても、あまり入れ込みすぎちゃうと、自分を追い詰めることになるんです。立ち止まることも大事なんだと痛感しました。

*     *     *     *     *

 785日ぶりの勝ち星に笑みを浮かべた斎藤は、お立ち台でこう言った。

「プロ1年目、最初の相手がロッテだったんですけど、その時はこんなに簡単に勝てるものなんだと思っていました。でも今日は本当に苦しかったし、あらためて野球の難しさを感じました。これから僕の第二の野球人生が始まります」

 勝つことの難しさを知らなかった第一の野球人生は終わった。そして、勝つことの難しさを知る第二の野球人生が始まった。しかしプロ4年目を終わって始まったこの「苦しい野球人生」は、まだほんの序の口にすぎなかった──。

次回へつづく


斎藤佑樹(さいとう・ゆうき)/1988年6月6日、群馬県生まれ。早稲田実高では3年時に春夏連続して甲子園に出場。夏は決勝で駒大苫小牧との延長15回引き分け再試合の末に優勝。「ハンカチ王子」として一世を風靡する。高校卒業後は早稲田大に進学し、通算31勝をマーク。10年ドラフト1位で日本ハムに入団。1年目から6勝をマークし、2年目には開幕投手を任される。その後はたび重なるケガに悩まされ本来の投球ができず、21年に現役引退を発表。現在は「株式会社 斎藤佑樹」の代表取締役社長として野球の未来づくりを中心に精力的に活動している

プロフィール

  • 石田雄太

    石田雄太 (いしだゆうた)

    1964年生まれ、愛知県出身。青山学院大卒業後、NHKに入局し、「サンデースポーツ」などのディレクターを努める。1992年にNHKを退職し独立。『Number』『web Sportiva』を中心とした執筆活動とともに、スポーツ番組の構成・演出も行なっている。『桑田真澄 ピッチャーズバイブル』(集英社)『イチローイズム』(集英社)『大谷翔平 野球翔年Ⅰ日本編 2013-2018』(文藝春秋)など著者多数。

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