「打倒・江川卓」広島商の監督はハナから打つことをあきらめた 奇想天外なトリックプレーを考案 (2ページ目)
江川という超高校級の投手がいるというのは以前から知っていたが、本格的に意識したのは1973年秋、中国大会を制し、翌春のセンバツに向けて強化練習をしていた頃、見覚えのないプロのスカウトが練習後にやってきて、迫田にこう切り出した。
「迫田さん、関東に江川というピッチャーがいるのを知っていますか? これはすごいですぞ」
「そうなんですか? 鈴木孝政の高校時代と比べてどうですか?」
「孝政より上ですぞ、江川は!」
迫田は江川の実力のほどを聞いて、前年度の中国大会の時のことを思い出した。
1971年秋の中国大会1回戦で柳井高(山口)とあたり、中盤まで2対0で勝っていたが、終盤に逆転され敗れた。なによりショックだったのは、柳井の本格派投手・杉本義勝に対し、チームのなかで唯一小技が効く6番打者にスクイズのサインを出したら、球威に押されて失敗したことだ。
「こんな投手だとスクイズもできんのか......」
悔しさ反面、半ば感服したことが脳裏によぎる。
「鈴木孝政よりすごいという江川から、どうやって点を取ったらいいのか......」
迫田は悩みに悩んだ末、スクイズができないことを想定して練習を行なうことにした。
【スクイズ失敗スチール奇策】
晩秋も終わりかけの1972年11月下旬、迫田は選手たちを集めてこう言った。
「おい、バットにかすらないピッチャーがいるらしいぞ」
「バットにかすらないってどういうことですか?」
「バントもできないほど、速いボールを放るってことや」
「どこにいるんですか?」
「栃木の作新に江川という投手がいるらしい」
そして選手たちは、顔を見合わせて言った。
「バットにかすらないのに、どうやって勝つんですか?」
迫田は熟考の末、ある攻略法を思いついた。
それが"スクイズ失敗スチール"である。まずそのためには、一死二、三塁の形をつくらなければならない。もしこの形をつくることができたら、バッターはわざとスクイズを失敗する。三塁走者はあまり飛び出さないかわりに、二塁走者は全速力で三塁ベース手前まで来る。そしてキャッチャーが三塁に投げた瞬間、三塁走者は全速力でホームに突っ込み、一塁側にスライディングをする。さらにその隙を狙って、二塁走者がホームに生還する。
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