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篠塚和典「クロマティは日本シリーズで恥をかいて守備が変わった」 巨人最強助っ人の愛すべき素顔 (2ページ目)

  • 浜田哲男●取材・文 text by Hamada Tetsuo

【日本人選手とも積極的にコミュニケーション】

――巨人に入団した当初の、クロマティさんの練習への取り組み方はどうでしたか?

篠塚 慣れない環境に来たこともあって、手探りの状態でしたね。最初は通訳を介して話していましたが、徐々に日本語を覚えたり、ちょっとしたニュアンスもわかるようになっていきました。

 当時の外国人選手の中では、「日本の野球に早くアジャストしたい。そのためには日本語もある程度は話せなければいけない」という意識が一番強い選手だったような気がします。日本語に慣れてからはもちろん、その前から積極的に日本人選手たちとコミュニケーションを取っていました。

――それに対して、周囲の選手たちの反応は?

篠塚 自分もそうですが、他の選手たちもクロウによく話しかけていました。本人が積極的にコミュニケーションを取ろうという姿勢を見せてくれていたのが大きいです。チームに溶け込むのも早かったですし、本人もやりやすかったんじゃないですかね。あの時代の外国人選手は、日本人選手とはあまり話さず"一匹狼"のような選手が多かったのですが、クロウだけは違いましたね。

――同じく1980年代に巨人で活躍した、元ニューヨーク・ヤンキースのロイ・ホワイトさん、元ロサンゼルス・ドジャースなどで活躍していたレジ―・スミスさんとは違いましたか?

篠塚 違いましたね。ホワイトやスミスは長くメジャーで活躍した実績がありましたし、格が違う。性格もクロウのように陽気な感じではなく、落ち着いた感じで風格を漂わせていました。クロウにはそういう風格はありませんでしたよ(笑)。

――それゆえ、チームにも溶け込みやすかった?

篠塚 話しかけやすかったですし、ちょっかいも出しやすかったですよ。周りからそうされたから、本人もすぐに打ち解けたのでしょう。

 当時は「外国人選手は2年プレーしてくれれば十分」という時代で、契約が終わったら自国に帰る傾向が顕著でしたが、クロウは日本で7年間もプレーしました。クロウがチームに溶け込み、チームもクロウを必要としていた証拠です。「自分の現役生活を日本で終わらせるんだ」といった気持ちでプレーしていたと思います。

 日本の居心地もよかったんでしょうね。野球でのコミュニケーションだけではなく、私生活の人間関係もうまくいっていたんじゃないかと思います。そうでなければ7年間もできません。同じように性格が陽気で、日本で13年間プレーした(アレックス・)ラミレス(元ヤクルトなど)などもそうだと思いますよ。

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