増井浩俊が明かす野球人生のターニングポイント 球界屈指のリリーバーはこうして誕生した (2ページ目)

  • 水道博●文 text by Suido Hiroshi

── その言葉が、結果的にプロ野球人生のターニングポイントになったわけですね。

増井 ゆくゆくはまた先発ローテーションに戻りたいという気持ちはありました。でも1イニングをしっかり抑えて評価されるという仕事をプロになって初めて任されたわけですが、はまりましたね。結局、プロ2年目は56試合に登板して34ホールドを挙げ、「自分がタイトルを狙えるのは、もしかしたらリリーフかな」と感じました。

── どんなところが「リリーフ向き」だったと自己分析しますか。

増井 球種は最速155キロのストレートとフォーク、スライダーの3種類。先発で6イニングを3点以内に抑えるよりも、短いイニングを全力で投げるほうが性格的にも身体的にも合っていると実感しました。ふだんはあまり熱くなるタイプではないのですが、"二重人格"とでも言うのでしょうか(笑)。マウンドに上がると「打者に負けたくない」と気持ちが強く出てしまう。

【ダルビッシュ有のすごさ】

── ダルビッシュ有投手(現・パドレス)がチームメイトでした。同じ投手として、どういうところがすごかったですか。

増井 ダルビッシュは2歳下なのですが、持っているポテンシャルの高さ、野球への探究心のレベルが違いました。相手打者を攻める投球の組み立てにしても、鶴岡慎也捕手と1試合ごと、場合によっては試合途中でも前向きなコミュニケーションをとっているのが印象深かったです。醸し出すオーラがすごくて、リーダー格の稲葉篤紀さんも大きな信頼を寄せていました。まさに大エースです。

 先発で長いイニング投げてくれたので、中継ぎを挟むことなく、抑えの武田久さんにつなぐこともありました。そんな完投能力の高いダルビッシュが移籍することになり、継投が増えるだろうという意識がチーム内に生まれた気がします。

── そんなこともあって、増井さんは2012年に73試合に登板して、チームはリーグ優勝を果たしました。

増井 栗山英樹監督はどうしたら選手が故障しないか、どうしたらうまく結果を残せるかを考えてくれる"選手ファースト"のマネジメントでした。2012年は73試合に登板して45ホールドをマークして、最優秀中継ぎのタイトルを獲得できたのですが、周囲からは「登板過多」という声もあったと聞きました。でも、自分が必要とされている実感があって本当に楽しかったですし、野球人生のなかでも充実した1年でした。

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