大引啓次がプロ野球引退後大学院に進んだ理由「大事なのはどれだけ社会に貢献できるか」 (3ページ目)

  • 元永知宏●文 text by Motonaga Tomohiro

── 自分ができることと、誰かにやらせることは同じではありませんか。

大引 指導者として実績のある方は、何年も何年もコーチをしながら、教え方や伝え方を変えているんだと思います。その人がたしかな技術や見識を持っていたとしても、そこが間違っていたら意味がない。私はコーチとしては、まだまだこれから。勘違いしてはいけないと思います。

 体格も利き腕も利き目も、育ってきた環境も違います。本当にいろいろなタイプがいます。全員をパーフェクトに教えることは不可能でも、その確率を上げていきたい。「自分がうまくいったから、同じことをやれ」とは言いたくない。自分の型にはめるような指導はしたくないんです。

【才能以外の部分でどう戦うか】

── バッティングフォームも、ピッチャーの投げる変化球の種類も、守備のセオリーも、時代によって変わってきています。

大引 昔のやり方がすべて正しいとも限らないし、新しいものが全部いいかというとそういうわけでもない。その選手がどういう意図で練習しているかを聞いてみないとわからない部分もあると思っています。

── 大引さんのセカンドキャリアはまだ始まったばかりですね。

大引 私はずっと野球に携わっていきたい。だから、それを続けるために正しい知識を身につけたい。日本では子どもの数が減っているし、野球をやる子も少なくなっています。もっと野球に憧れるようなことしないといけない。現役時代、もっと野球教室をやっておけばよかったと反省しています。

── 大引さんは指導者として、何を伝えようとしているのでしょうか。

大引 元プロ野球選手だったとはいえ、指導者としては学ぶことばかりです。野球がうまかったからと言ってすごいわけでもないし、お金をたくさん稼いだからといって偉いわけでもない。大事なのは、どれだけ社会に貢献できるかだと考えています。

── 大引さんの13年間の通算成績は、1288試合に出場して1004本安打、48本塁打、356打点、67盗塁、234犠打、打率.251でした。プレーヤーとしてのキャリアのうえに、指導者としての知識、技術を積み重ねているところですね。 

大引 プロでの私には、守備の人というイメージがあったと思いますが、バッティングを教えるのも好きなんです。走塁もそうです。私自身、プロとしてはそんなに大きくない体(178センチ、80キロ)でプレーしながら、とんでもない能力を持つ選手たちが集まるプロ野球でどうすれば生き残れるかを考えてきました。頭を使った野球をするしかない。いかに相手のスキをつくか、どうすればひとつ先の塁に進めるかを自分で考え続けました。才能以外の部分でどう戦うかが大事なんです。そういうことを教えられるように、日々学んでいます。


大引啓次(おおびき・けいじ)/1984年6月29日、大阪府生まれ。浪速高2年時に春のセンバツ大会に出場。法政大では首位打者2回、ベストナイン5回を獲得し、2006年の大学・社会人ドラフトでオリックスに3位指名を受け入団。好守・巧打の内野手として活躍。13年1月にトレードで日本ハムに移籍し2年間プレー。14年オフにFA権を行使してヤクルトに移籍。19年に現役を引退した。20年に学生野球資格回復の認定を受け、翌年には日本体育大学大学院に入学。コーチングを学びながら同校の硬式野球部臨時コーチに就任し、学生の指導を行なっている

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