大引啓次がプロ野球選手として体験したお金のリアル 年俸の理想的な上がり方と下がり方 (3ページ目)
【電撃トレード、FAを経験】
── 2013年の春季キャンプの直前、日本ハムへの電撃トレードが決まりました(北海道日本ハムファイターズの主力選手だった糸井嘉男、サウスポーの八木智哉と木佐貫洋、赤田将吾との2対3のトレード)。この年、2度目の規定打席に到達、32犠打、13盗塁も記録しています(年俸は5600万円→7000万円に)。
大引 この年、初めてオールスターゲームに出ることができました。2014年にはキャプテンを任されて、いい成績も残せました(自己最多の132試合に出場し、打率.245、キャリアハイとなる21盗塁を記録した)。
── そのシーズンオフに国内FA宣言を行ない、3年契約(3年総額3億円)を結んで、スワローズに加わることになりました。
大引 脇腹を痛めたこともあって、2015年は96試合にしか出場できませんでした。でも、スワローズの14年ぶりのリーグ優勝に少しは貢献できたと思います。
── しかし、出場機会は減っていきます(2016年は100試合、2017年は80試合、2018年は47試合)、2018年の契約更改では25%の減額制限を大幅に超える40パーセントのダウンを飲み6000万円→3600万円)、2019年限りでユニホームを脱ぐことになりました。
大引 私は年俸2億、3億と稼ぐことはできませんでしたが、落ち方が緩やかだったのでプロ13年間で多少の貯蓄をすることができました。もしかしたら余裕があるように思われるかもしれませんけど、一生遊んで暮らせるほどではありません。
大引啓次(おおびき・けいじ)/1984年6月29日、大阪府生まれ。浪速高2年時に春のセンバツ大会に出場。法政大では首位打者2回、ベストナイン5回を獲得し、2006年の大学・社会人ドラフトでオリックスに3位指名を受け入団。好守・巧打の内野手として活躍。13年1月にトレードで日本ハムに移籍し2年間プレー。14年オフにFA権を行使してヤクルトに移籍。19年に現役を引退した。20年に学生野球資格回復の認定を受け、翌年には日本体育大学大学院に入学。コーチングを学びながら同校の硬式野球部臨時コーチに就任し、学生の指導を行なっている
『プロ野球で1億円稼いだ男のお金の話』
昭和のプロ野球では年俸1000万円がスーパースターの証だった。それが3000万円になり、1億に上がっていき、現在では、5億円以上の年俸を稼ぐプロ野球選手がいる。
しかし、プロ野球選手には寿命がある。どんなすばらしいスターも衰えとは無縁ではない。能力が年俸に見合わないと判断されればユニフォームを脱ぐことになる。そのときには当然、年俸はゼロになる。プロ野球以上に稼げる世界などどこにもない。
本企画ではプロ野球で「天国と地獄」を経験した元プロ野球選手に登場してもらい、お金にまつわる様々な話を徹底的に聞いていく。
たとえば……契約金はどこへ消えるのか? 「グラウンドに銭が落ちている」は本当か? なぜ大金は身につかないのか? 誰も教えてくれない税金の怖さ、成績不振でも年俸を下げない方法、絶対に認められない必要経費、誰もが行きたいあの球団、そして、お金よりも大切なものは何か?
現役を引退し、さまざまな仕事を経験したからこそ語ることができるプロ野球のお金の話──彼らの笑える話、泣ける話、ためになる話を1冊に!
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