1992年阪神快進撃を有田修三が振り返る「コーチは酒飲んでケンカ。強くなるはずやね」 (4ページ目)

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki

 満塁になった時、中村監督が「ちょっとマウンドに行って来てよ」と大石に言った。湯舟のリリーフに反対の大石は「あんたが行けよ」と返した。両者の間に深い溝ができ、オフに大石は二軍に配置転換されるのだが、その試合、湯舟に代わった中西が打たれてサヨナラ負け。痛過ぎる敗戦となったが、有田自身、捕手に出したサインで苦い記憶がある。

【何でサインを変えたのか...】

 10月1日の中日戦。1対1の同点で迎えた延長10回裏、中日の攻撃。二死一、二塁の場面で代打の矢野輝弘が打席に入った。マウンド上には左腕の猪俣隆。一打サヨナラの場面ながら、猪俣はテンポよく投げて1ボール2ストライクと追い込んだ。そこで有田は<インコースに真っすぐ>のサインを山田に出したのだが、猪俣がマウンドを外した。

「タイミング的にトントントンと行ってたから、パッとサイン出した。野球ってね、そういうタイミングがものすごく大事なわけ。それが外しよったんよ。だからワシ、その球、嫌がったと思ったんや。インコースのサイン、嫌がって外すヤツおるんよ。それでワシ、あいつナックルフォークみたいなボールよく投げてるから、それ投げたいんやろなと思って変えたんよ。

 そしたら、三塁線にスコーンと打たれてサヨナラ負け......。サイン出して打たれたの、それ一回だけやねん。その一回が優勝争いの大事なとこやねん。何で猪俣がマウンド外したか、何でまたワシがサイン変えたか。それは悔いが残ってる」

 31年が経過しても一球の悔しさが残る有田だが、それは優勝できると確信していたからこそなのか。近鉄時代にリーグ連覇の経験もあるコーチとして、当時、どう見ていたのか。

「ワシは優勝できると思えんかった。キャンプからずっと阪神の野球見てきて、最後に勝つための準備ができてなかったから。バントができなくなる、ピッチャーはストライク入らんようになる、と思っていたら案の定や。でも、それはそれでええねん。ワシは次の年に優勝に持っていければええな、と思ってた。思ってたんやけどね......」

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