1992年阪神快進撃を有田修三が振り返る「コーチは酒飲んでケンカ。強くなるはずやね」 (2ページ目)

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki

 当時の仲田はスライダーを投げていなかった。そこで有田は巨人時代、同じ左腕の宮本和知にスライダーを勧めた時と同様、仲田にその使い方を伝授。山田とともに、スライダーを使う場面、使う意図を説明した。すると、持ち上げられたうえに新球がはまり、仲田は5月に5勝を挙げて月間MVPを受賞。前半戦だけで9勝を挙げる活躍を見せた。

「その年はマイクのあと、6月に湯舟(敏郎)、7月に野田(浩司)、9月にまた湯舟や、月間MVP。そんでもって湯舟はね、どっちかって言うと勝ち気なほうじゃないから、木戸(克彦)が引っ張ったらうまいこと行くんちゃうかな、思ってた。実際、うまくいって、木戸も生き返ってよかったよ。ワシが阪神に入る頃に『辞める』言うとったの、引き留めてたから」

 まさに木戸がその年、初スタメンマスクで組んだ相手が湯舟だった。6月14日、甲子園での広島戦、ノーヒット・ノーランを達成した試合。湯舟が新人だった前年に初めて組んだ捕手がベテランの木戸で、常に助言を受けていた。92年は初登板の巨人戦で勝ったあと、波に乗れず二軍降格も覚悟した時、約1年ぶりに木戸と組んで快挙を成し遂げたのだった。

「反対に、打線は打てんやったね。だからバッティングコーチの佐々木恭介、大変や。オーナーと球団のえらいさんとコーチ全員で会食の時、順番にひとりずつ呼ばれて話するわけよ。ワシら褒められるばっかりやのに、恭介はボロカス言われて、あとで怒りよったよ。ほんま、そのぐらい打てんやった。まあでも、カメと新庄、あのふたりでだいぶ引っ張ったからね」

【コーチ同士でケンカの日々】

 バッテリー担当の有田も、亀山努と新庄剛志、ブレイクしたふたりの若い外野手を頼もしく感じていた。いずれも「ええ選手」と見ていた。

「カメはね、チョンボするんよ。それをいつも、前の年のコーチにボロッカスに怒られとったらしい。で、チビってね、もう野球でけへんようになったって聞いたけど、ええ選手はね、チョンボもするもんなんよ、どっちか言うたら。だからワシ、大石さんだけやない、コーチ全員に言うたの。『怒るのやめようや。怒っても一緒やで』って。それでみんなギャアギャア怒らなくなった」

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