1992年阪神快進撃を有田修三が振り返る「コーチは酒飲んでケンカ。強くなるはずやね」 (3ページ目)

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki

 有田は近鉄時代、4つ年上のエース鈴木啓示にも「何してんねん! しっかり投げや!」と叱咤していた捕手。そのうえで怖いもの知らずになっていたから、大半が年上でも監督・コーチ会議では平気で意見できた。指導者が感情的になったところで、選手の技術は向上しないと理解していた。

「だけど、コーチ同士はようケンカしたよ。試合終わると、もっとこうせなあかんって言って酒飲んでケンカや。みんな気持ちが熱いから。トレーニングコーチの山本晴三に『もっと走らせんかい!』とか言うてね。年上やけども。そしたらグラスが飛んでくる、靴がボコーンって飛んでくる(笑)。それでもまた集まんねん。いま考えたら、強くなるはずやね。みんな本気やもん」

 本気だから、中村勝広監督にも真正面から反論できた。5月、新庄の一軍昇格が検討された時、監督は「まだ早い。生意気だし格好も派手。もう少し勉強させないと」と言った。が、コーチ全員で「新庄を上げよう。絶対に活躍する」と進言したため、監督は渋々昇格させた。ただし、優勝争いの最中、コーチの進言がまったく通らない時があった。

 勝てば阪神が有利になる、10月7日のヤクルト戦。3対1と阪神リードで迎えた9回裏。先発の中込伸が一死一、三塁とすると中村監督が動き、湯舟をマウンドに送った。田村勤が左ヒジの故障で離脱して以降、抑えは固定せず、実績ある中西清起が代役を務めたほか、先発の仲田も兼務していた。中村監督は「今いちばん安定している」と、湯舟にも兼務させようとした。

「その時、監督にワシと大石さんで話しとるわけよ。『湯舟は気が強くないから、絶対、抑えで使わんで』って。そしたら、使った。フォアボール、フォアボールで押し出し。大石さんとふたりで『ほれ見い』って言ってね。でも、湯舟が悪いわけじゃないねん。厳しい場面ではダメなんやから、違うとこでちゃんと使わなあかんわけ。それを見定めるのが監督の仕事やん」

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