なぜ1992年の阪神投手陣は劇的に飛躍したのか 元阪神コーチ・有田修三が衝撃の告白 (3ページ目)

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki

【開幕スタメン捕手は山田勝彦】

 監督のみならず、投手コーチからも頼りにされていた有田。いずれにせよ、その有田がベンチに入れて初めて捕手へのサインも出せたわけだが、92年の開幕スタメンを勝ちとった捕手は山田だった。高卒5年目で一軍出場は89年に1試合、91年に66試合と実績はなく、経験も浅い。どのようにサインを出していったのか。

「だから大事なとこ、試合が競ってきたり、ピンチになったら、ワシの顔を見ろと。ワシはベンチで座っとって、首を曲げて。傾けた方向で球種を伝える。ポンと投げてパッと見るだけやから相手は見てる間がないし、まだベンチからサイン出してないわけやし。瞬間的やから、わからんかったと思う。わかっとったら、相手ベンチから声出るもん。『真っすぐやで〜!』とかね」

 瞬間的ゆえに複雑ではなく、見た目にわかりやすかったサイン。これについては、中村監督も、山田を筆頭に捕手も納得していたのだろうか。捕手の負担を軽くするためとはいえ、コーチがヒントを与えるのではなく、解答を教えるような指導でもある。前例がなかった当時は、どう受け止められたのか。

「監督は納得していたと思う。ただ、山田がね、大事なとこだけやでって言うてんのに、ワシがサイン出すまでずっと見るようになって参ったわ(笑)。そのうち、負け試合やどうでもええ時もずっと見るようになった。その時は、『行け!』言うてね」

 善し悪しか、功罪か、ベンチからのサインでアウトをとる確率が高まる反面、捕手がそのサインに依存しかねないところもあったわけだ。若い捕手としては、ヒントよりも解答、正解がほしくなってしまうのだろう。ゆえに有田としては、大差がついて敗色濃厚となれば捕手自身のサインで打たれて勉強してほしいという思いがあった。

「ワシも現役時代、相手にやられながらいろんなこと勉強して覚えたから。でもね、山田はキャッチャーとして賢いヤツやねん。頭ええヤツやからね、ワシと細かいミーティングやったら、ある程度、その方針どおりに持っていくわけよ。そのミーティングはね、ワシと大石さんで『ピッチャーをどないかしよう』って、いつも話しておったのが始まりやった」

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