高橋慶彦はロッテでやらかし阪神にトレード「うれしかった。でも縦縞は似合わなかったね」
1992年の猛虎伝〜阪神タイガース"史上最驚"の2位
証言者:高橋慶彦(前編)
「阪神を変える男」としてロッテから移籍──。1990年オフに阪神に新加入した高橋慶彦には、チームの低迷脱出に向けて大きな期待がかけられていた。
85年に球団初の日本一になった隆盛も束の間、翌年3位で終えると、87年には最下位に急降下。吉田義男監督から村山実監督に代わっても6位、5位と浮上できず、中村勝広監督が就任した90年も6位に終わった。すると球団は積極補強に動き、ダイエー(現・ソフトバンク)との交換トレードで池田親興、岩切英司、大野久、渡真利克則を放出し、藤本修二、西川佳明、吉田博之、近田豊年、右田雅彦を獲得。
さらに、日本ハムを自由契約になった内野手の古屋英夫が加入した一方、ロッテとの交換トレードも成立。85年ドラフト1位左腕の遠山昭治(=遠山奬志)を出して獲ったのが高橋だった。広島時代に盗塁王に3度輝き、通算1700安打を超え、33試合連続安打の日本記録を持つ俊足のスイッチヒッター。阪神としてはぜひほしい選手だったのではないか。高橋に移籍の経緯から聞く。
91年にトレードで阪神に移籍してきた高橋慶彦氏 photo by Sankei Visualこの記事に関連する写真を見る
【やらかしたヤツがトレード要員】
「『阪神がほしかった』というのは違うね。たぶん、ロッテからやろうね。いつもやらかすんで、オレ(笑)。今のトレードはお互いちゃんと補強になってるけど、当時はまだ、何かやらかしたヤツがトレード要員。カープからロッテに行った時も、恒例行事の件で球団と揉めたのがきっかけだったし。それでいちばん最初に迷惑をかけたのが水上(善雄)だったね」
87年4月に催された、地元テレビ局主催の<カープ激励の夕べ>。恒例行事だったが、開幕前の最も大事な時期。しかも開幕2日前の開催というのが、選手間の懸案事項だった。そこでチームリーダーの高橋が球団上層部に意見すると騒ぎになり、オーナーのうかがい知るところになって怒りを買うと、高橋は行事をボイコット。開幕から2週間の出場停止処分を受けた。
その後、高橋のトレードに関する記事がスポーツ紙に載るようになり、翌88年オフには西武とのトレードが決まりかけた末に、89年オフ、投手の白武佳久、杉本征使とともにロッテに放出された。交換要員は内野手の水上、外野手の高沢秀昭で、いずれも主力の幹部候補。ゆえに、高橋にすれば「迷惑をかけた」ということなのだ。では、ロッテでは何をやらかしたのか。
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著者プロフィール
高橋安幸 (たかはし・やすゆき)
1965年、新潟県生まれ。 ベースボールライター。 日本大学芸術学部卒業。 出版社勤務を経てフリーランスとなり、雑誌「野球小僧」(現「野球太郎」)の創刊に参加。 主に昭和から平成にかけてのプロ野球をテーマとして精力的に取材・執筆する。 著書に『増補改訂版 伝説のプロ野球選手に会いに行く 球界黎明期編』(廣済堂文庫)、『根本陸夫伝 プロ野球のすべてを知っていた男』(集英社文庫)など