梨田昌孝が語る「10.19決戦」秘話 近鉄とロッテの伝説のダブルヘッダー前チームの雰囲気は「ガツガツしていなかった」 (4ページ目)

  • 浜田哲男●取材・文 text by Hamada Tetsuo
  • photo by Sankei Visual

――梨田さんは、状況を冷静に見ることができていた?

梨田 そうですね。スタメンではなく一歩引いた視点で見ていましたから。チームの勝利、優勝を第一に考えつつも、「自分はこれが最後の試合になるかもしれない」とも考えていたりして。コーチと選手たちのパイプ役のような立場でしたし、「他の選手たちをリラックスさせてやらないといかんな」と思っていました。

――10.19決戦の前、近鉄は10月17日の阪急戦に敗れ、残りのロッテとの3試合に全勝しなければ優勝できない状況に追い込まれます。その時にはさすがに、チームの雰囲気も重くなりましたか?

梨田 西宮球場からバスで京都の都ホテルに移動したのですが、やっぱりシュンとした雰囲気でした。ただ、仰木さんはそういう空気が嫌いなこともあって、バスで1時間足らずの移動中に、「なんか楽しいことでもやろうや」となったんです。そうしたら、佐々木修や大石大二郎が先頭に立って近鉄の球団歌をみんなで歌ったり、若手の村上隆行がバスの中の雰囲気を明るくしようとして、いろいろと楽しませていました。

――当時の近鉄は「明るいチーム」というイメージがありました。

梨田 そうですね。割と好き勝手なことをやっていたような感じでした。仰木さんが監督の時は、札幌遠征では裏方さんたちも含めてサッポロビール園に行っていたのですが、一部の選手がビールを一気飲みしたりね。仰木さんが「一気飲みが一番早い選手がスタメンだ」と冗談を言ったり(笑)。そういうことを言いながら選手を乗せていくというか、場を楽しませることがうまかったです。

(中編:第1試合9回裏の投手交代の真相 吉井理人→阿波野秀幸「ボールの判定にカーっとなってしまって...」>>)

【プロフィール】
梨田昌孝(なしだ・まさたか)

1953年、島根県生まれ。1972年ドラフト2位で近鉄バファローズに入団。強肩捕手として活躍し、独特の「こんにゃく打法」で人気を博す。現役時代はリーグ優勝2 回を経験し、ベストナイン3回、ゴールデングラブ賞4回を受賞した。1988年に現役引退。2000年から2004年まで近鉄の最後の監督として指揮を執り、2001年にはチームをリーグ優勝へと導いた。2008年から2011年は北海道日本ハムファイターズの監督を務め、2009年にリーグ優勝を果たす。2013年にはWBC 日本代表野手総合コーチを務め、2016年に東北楽天ゴールデンイーグルスの監督に就任。2017年シーズンはクライマックスシリーズに進出している。3球団での監督通算成績は805勝776敗。

プロフィール

  • 浜田哲男

    浜田哲男 (はまだ・てつお)

    千葉県出身。専修大学を卒業後、広告業界でのマーケティングプランナー・ライター業を経て独立。『ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)』の取材をはじめ、複数のスポーツ・エンタメ系メディアで企画・編集・執筆に携わる。『Sportiva(スポルティーバ)』で「野球人生を変えた名将の言動」を連載中。『カレーの世界史』(SBビジュアル新書)など幅広いジャンルでの編集協力も多数。

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