梨田昌孝が語る「10.19決戦」秘話 近鉄とロッテの伝説のダブルヘッダー前チームの雰囲気は「ガツガツしていなかった」 (2ページ目)

  • 浜田哲男●取材・文 text by Hamada Tetsuo
  • photo by Sankei Visual

【決戦の前年に仰木から「ナシ、ちょっと飯行こうや」】

――ちなみに、梨田さんはこの試合を最後に現役を引退しましたが、引退を決めたきっかけは何だったのですか?

梨田 まだ35歳でしたが、肩の手術をしていましたし、両足のアキレス腱の状態も悪かったんです。それと、グラウンドが人工芝に変わる頃で、キャッチャーの僕は人工芝で立ったり座ったりする練習をしていたのですが、膝や腰、足首、アキレス腱など体のあちこちにガタがきていました。

 今はひとつの球団に、平均で10人前後のトレーナーがいたりしますが、当時はトレーナーの人数が少なかったですし、セカンドオピニオンやサードオピニオンといったように入念に検査するような時代でもありませんでした。自分で自分の体の状態を判断することが重要だったのですが、「これ以上はプレーできない」と感じるようになって引退を決めたんです。

――この年の早い段階から決めていたのですか?

梨田 本当はその前年にやめるはずだったんです。岡本伊三美さんから新しい監督に交代するタイミングでやめることを球団に言おうとしていたら、仰木さんがそれを察知したようで、「ナシ、ちょっと飯行こうや」って誘われたんです。まだ新聞などで近鉄の新監督の発表もされていない時だったのですが、そこで「実は、来年わしが近鉄の監督をやるんや」と。

 それで「お前、引退しようと思ってるんやろ」という話をされたので、「もう肩も膝もガタガタなんで、そろそろと思っています。戦力になれませんし」と言ったら、「もう1年やれよ」と言われて。戦力として仰木さんを助けることはできないということでお断りしたのですが、最後は口説かれたというかね。「年俸はちゃんと上げるように球団に言っておくから」とも言ってくれたので、もう1年やることになりました。

 その時に仰木さんに伝えられたのは、「状態がいい時には代打で使ったり守ってもらったりするけど、ナシはそこまで考えんでいいから、選手とコーチのパイプ役となって支えてくれ」ということでした。それで、最終的に10.19決戦を経験することになったんです。

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