広島・矢崎拓也「自分がやらかすことに飽き飽きした」入団から失意の5年を振り返る (3ページ目)

  • 前原淳●文 text by Maehara Jun
  • photo by Sankei Visual

── 失敗するのは結果次第で評価を得る重圧のせいか、それとも環境が変わったことでのことなのか。

矢崎 当時はそんなことを考える余裕もありませんでしたけど、どっちもでしょうね。やられるというより、自分がやらかすことに飽き飽きした。失敗するにしても、自分の実力をちゃんと発揮して、それでやられたら納得感のある終わり方だと思うんですけど、それすらできないというのはダサいでしょう。「もっとできたのに」と周りから言われるのもイヤだったし、自分で言うのもイヤでした。「相手が上だったよね」って言うほうが潔いかなと思ったので、どうせやられるんだったらそっちのほうがいいかなと。

【技術的な部分はあきらめた】

── そうした状況を打破するために取り組んだことは何ですか。

矢崎 最初にやったのは、自分と向き合うことですね。自分がどういう感情で野球をしていて、どういうことを求めて、いったい自分は何なんだろうと考えることから始めました。

── 技術面のアプローチは?

矢崎 技術的な部分は......あきらめたことが大きいですね。

── "あきらめた"とは?

矢崎 「よくなりたい」「こうしたい」というのは、結果を求めて「もっとこうやって投げたほうがいいんじゃないか」「もっと球を速くしたほうがいいんじゃないか」と出てくるものだと思うんです。そこに対するアプローチをあきらめたんです。それまでも、いろいろフォームを見るのは好きでしたし、知識も入れてきました。ただ、どうやって投げたいというよりも、まずは自分自身が心地よく投げられることを求めて、実力を発揮することが先だと思ったんです。それぞれ体格は違うし、育ってきた環境も違う。「技術の変化は?」って聞かれたら、「まずは自分に従うようにした」という感じですね。

── あくまで矢崎拓也という投手に合った投げ方を求めていったと?

矢崎 そうですね。そっちをメインにやってきました。

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