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「33-4」が話題となった2005年の日本シリーズ 元ロッテの清水直行が明かす「阪神にとって少し不利だった」と思うこと (3ページ目)

  • 浜田哲男●取材・文 text by Hamada Tetsuo
  • photo by Sankei Visual

【ボビー流、勝つためのチーム管理】

――逆に言えば、リーグ優勝の余韻に浸る時間がなかったんですね。

清水 みんなが優勝を経験したことがなかったですし、チームとしても31年ぶりの優勝ともなると、何をしていいのかわからないんです(笑)。すぐに日本シリーズに向けた準備をしなければなりませんでしたし、あまり羽目を外すこともなかったです。

 それと、気持ちを切り替える訓練はシーズン中からできていたと思います。ボビーが定期的に休みを入れてくれて、野球に向かう時とリフレッシュする時の「オン・オフ」の大切さを選手たちも肌で感じていましたから。

 ボビーは(2004年に2度目の)ロッテの監督に就任してから、キャンプ中やオープン戦、シーズン中も「勝負は9月と10月。そこで勝つために、チームを管理していけるかが大切だ」とずっと言い続けていました。普段の練習もそこまで長くやらず、「練習で疲れずに試合で疲れてくれ」と。ボビーが選手たちをうまく管理していたと思います。

――この年の日本シリーズは、両チームの監督の合意に基づき、7年ぶりに「予告先発」が採用されました。相手投手によって打線を入れ替えていたロッテにとっては好都合だった?

清水 そうですね。第1戦の阪神は左腕の井川(慶)が先発だったので、2番に今江、5番にサト(里崎智也)と右打者を入れましたね。シーズン中もボビーは打線をコロコロ入れ替えていましたが、「このタイプの左ピッチャーにはこの選手を当てる」といったプランがあったと思います。

――清水さんは日本シリーズ第1戦の先発を務めましたが、それを告げられたのはいつでしたか?

清水 ソフトバンクとのプレーオフが終わったくらいのタイミングで、「日本シリーズの頭で行くぞ」と。この年はシーズンの開幕戦も、交流戦の開幕戦も投げさせてもらった。節目節目でそういう役割を任せてもらえたのは、僕の野球人生において大きな刺激になりました。

(阪神・関本賢太郎のエピソード1:33-4で敗戦「調整が難しかった、は言い訳になる」>>)

【プロフィール】
清水直行(しみず・なおゆき)

1975年11月24日に京都府京都市に生まれ、兵庫県西宮市で育つ。社会人・東芝府中から、1999年のドラフトで逆指名によりロッテに入団。長く先発ローテーションの核として活躍した。日本代表としては2004年のアテネ五輪で銅メダルを獲得し、2006年の第1回WBC(ワールド・ベースボールクラシック)の優勝に貢献。2009年にトレードでDeNAに移籍し、2014年に現役を引退。通算成績は294試合登板105勝100敗。引退後はニュージーランドで野球連盟のGM補佐、ジュニア代表チームの監督を務めたほか、2019年には沖縄初のプロ球団「琉球ブルーオーシャンズ」の初代監督に就任した。

著者プロフィール

  • 浜田哲男

    浜田哲男 (はまだ・てつお)

    千葉県出身。専修大学を卒業後、広告業界でのマーケティングプランナー・ライター業を経て独立。『ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)』の取材をはじめ、複数のスポーツ・エンタメ系メディアで企画・編集・執筆に携わる。『Sportiva(スポルティーバ)』で「野球人生を変えた名将の言動」を連載中。『カレーの世界史』(SBビジュアル新書)など幅広いジャンルでの編集協力も多数。

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