斎藤佑樹が悔やむプロ1年目のつまらない葛藤「自分はすべてにおいて中途半端だった」 (4ページ目)
【野球を難しく考えてしまっていた】
プロに入ってすぐの頃の僕は、野球を難しく考えてしまっていました。大学までは当たり前のようにとれていた三振がとれなくなって、そこにすごく苦労していたんです。当時の感覚で言うと、ワンストライクはミットに向かって投げる、ツーストライクはミットを狙わずにアバウトに投げる。そうするとツーストライクまで追い込めるんですけど、三振まではあと一歩......いや、二歩くらい足りない感じ。
スライダーのキレにしても、大学までのスライダーはもっとキレがよかったのか、それとも大学時代と同じキレなのにプロのバッターのレベルが高いから空振りがとれないのか、それがわからなかった。
そんな時、今のような詳細なデータがあれば、「スライダーの球質は大学時代と同じ数字だから、気にせずそのまま投げていけばいい」と思えたはずです。そこがわからないままだから、スライダーが投げられない、だったら違う球種が必要なのかな......とか、フォームが変わってしまったからなのかな......とか、余計なことばかりを考えてしまいました。
ファイターズの(武田)勝さん、多田野(数人)さんも「ツーストライクに追い込めば、バッターは三振したくないからフルスイングしなくなる。そうすると内野ゴロで打ちとる確率が高くなるから、三振をとりに行くよりゴロを打たせることに取り組んだほうがいい」とアドバイスしてくれました。
でも僕は、その切り替えができなかった。それは、今まで三振がとれていたのに内野ゴロでは悔しいという、つまらない葛藤があって、自分の特徴を生かしたピッチングができなかったんだと思います。
* * * * *
プロ1年目の斎藤は、前半戦を終えて7試合に先発、3勝2敗、防御率3.18──迎えた8月、誰もがあの甲子園の夏を思い起こす。18歳のハンカチ王子が躍動して5年──高校時代、決勝で投げ合ったイーグルスの田中将大との対決はまだ実現していなかった。そしてふたりが投げ合う舞台は9月、ついに整うこととなる。
(次回へ続く)
著者プロフィール
石田雄太 (いしだゆうた)
1964年生まれ、愛知県出身。青山学院大卒業後、NHKに入局し、「サンデースポーツ」などのディレクターを努める。1992年にNHKを退職し独立。『Number』『web Sportiva』を中心とした執筆活動とともに、スポーツ番組の構成・演出も行なっている。『桑田真澄 ピッチャーズバイブル』(集英社)『イチローイズム』(集英社)『大谷翔平 野球翔年Ⅰ日本編 2013-2018』(文藝春秋)など著者多数。
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