斎藤佑樹が悔やむプロ1年目のつまらない葛藤「自分はすべてにおいて中途半端だった」
連載「斎藤佑樹、野球の旅〜ハンカチ王子の告白」第36回
ルーキーイヤーの6月21日、左わき腹を痛めて登録抹消されていた斎藤佑樹は、イースタン・リーグのジャイアンツ戦に先発、3失点で勝利投手となった。7回を投げ切って、ジャスト100球──小刻みな失点は重ねるものの、終わってみれば斎藤に白星がつく、そんなピッチングだった。
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【自分を見つめ直せたミニキャンプ】
一軍で投げている時は力み返って投げていたのに、あの日は不思議なくらい力が抜けていました。スッと投げて、キレのいいボールがいくんです。フォームから力みが消えたのは、いろんな意味でリセットできたからじゃないかと思います。プロに入って注目を集めて、僕にもそれなりのプレッシャーはありましたからね。
初登板で初勝利を挙げて、2試合目もまあまあの内容(6回3失点)で2勝目。3試合目は勝敗こそつきませんでしたが、4度目の先発で左わき腹を痛めてしまい、一軍登録を抹消されます。
実際、僕はプロに入ってからバッターを相手にギリギリのところで戦っていました。高校や大学の時とは違って、ほんのちょっとのミスで打たれてしまうことを痛感していたんです。その一方で、ちゃんと投げられたら打たれないという感覚もあって、ずっと気を張りながら投げていました。それが力みとなってケガにつながったのかもしれません。
ただ幸か不幸か、僕が戦列を離れた時期に交流戦が始まって、吉井(理人/投手コーチ)さんから「ここは先発ピッチャーがひとり少なくても済むから、焦るなよ」と言ってもらって、気持ちがラクになったことを覚えています。
ファイターズの投手陣は絶好調で、その時点で防御率は12球団でトップでした。コーチ陣も皆さんもプレッシャーにならないように接してくれましたし、個人的にはシーズン中でも集中して励むことができたんです。
プロのレベル、一軍のバッターの能力、公式戦の雰囲気を何も知らない時期に臨んだ春の名護キャンプと、すべてをひととおり経験してから必要なことを吟味して鍛えられるシーズン中の鎌ヶ谷でのある意味"ミニキャンプ"では、その意味合いはまったく異なっていました。あの一カ月半、自分を見つめ直す時間に充てることができたのは、僕にとってはラッキーだったと思っています。
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著者プロフィール
石田雄太 (いしだゆうた)
1964年生まれ、愛知県出身。青山学院大卒業後、NHKに入局し、「サンデースポーツ」などのディレクターを努める。1992年にNHKを退職し独立。『Number』『web Sportiva』を中心とした執筆活動とともに、スポーツ番組の構成・演出も行なっている。『桑田真澄 ピッチャーズバイブル』(集英社)『イチローイズム』(集英社)『大谷翔平 野球翔年Ⅰ日本編 2013-2018』(文藝春秋)など著者多数。