『プリンスホテル野球部物語』駒澤大主将で日本代表の石毛宏典は練習に困惑「ぬるかった」 (3ページ目)

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki
  • photo by Sankei Visual

 同一資本が、プロとアマの野球チームを同時に持った前例はなかった。そこで堤は会見中、「プロからも狙われる実力の選手を入社させる。しかし、ライオンズの宮内(巌)社長には、プリンスの選手を獲るのはまかりならぬと命じた」と発言。疑惑を振り払うことに躍起になっていた。石毛自身、西武とプリンスの関係性について、入社前に人事部から説明を受けていた。

「堤さんはプロの西武ライオンズを買ったけど、それ以前に社会人野球の構想があって、プリンス野球部を立ち上げるほうが早かった。そのコンセプトは、堤さんがJOCの委員をやられていて、近々、野球がオリンピックの正式種目になるという気運が出始めてきている。だったら野球でオリンピックを目指しましょう、そのための人材を集めましょうということでした」

【破格の契約金、支度金の真相は?】

 1984年のロサンゼルス五輪において、野球が初めて公開競技になると決まっていた。堤の理想は、プリンス単独チームで五輪に出場し、優勝することだった。今でこそ、プロ野球にもWBC=国際大会はあるが、当時、世界に目が向いていたのはアマ球界のみ()。社会人と大学生で全日本を形成していたわけで、一企業の単独チームで五輪出場など普通では考えられない。
※プロが五輪に参加するのは、2000年のシドニー大会から

 ただ、78年のプリンス野球部結成から、ロス五輪までは6年間。体系づけたチームづくりをしていけば、不可能なことではないと考える向きもあった。チームづくりのために有望な選手を獲り続けていくとして、そのために渡されるのが高額な「契約金」「支度金」と言われていた。一部マスコミには<契約金5千〜6千万円>、<支度金2千万円>と出ていたが......。

「たしかに、ドラフトにかかるような選手がプリンスに入ったんで、『どれくらい金を使ったんだ?』とか、『おまえら、どれぐらい給料もらってんだ?』って言われましたよ。契約金や支度金の噂も立ちました。でも、僕の初任給は10万5000円(1978年当時の大卒平均初任給は10万5500円)でしたから。『ぜんぜん話と違うじゃないか』とは思いましたけど(笑)。夏のボーナスも5、6万円だったかな」

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