『プリンスホテル野球部物語』石毛宏典は強豪社会人チームでプロではなく支配人を目指した

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki
  • photo by Sankei Visual

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消えた幻の強豪社会人チーム『プリンスホテル野球部物語』
証言:石毛宏典(後編)

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【野球も寮生活もぬるかった】

 1979年2月19日、プリンスホテル野球部1期生が静岡・下田キャンプで始動した。チームはプロ入り確実だった大学出の選手が中心。必然的に厳しい練習になるのだろうと石毛宏典は予想していた。だが、いざフタを開けると、東京六大学出身の選手を筆頭に、ぬるま湯に浸かっているような雰囲気......。肩透かしを食らった。

「1期生で、上に先輩がいないこともあったでしょう。しかも新築の合宿所は冷蔵庫にビールまであって、みんなで麻雀をやってる。当時はまだ室内練習場がなくて、個人練習もバットを振るだけ。振っていたのは僕と金森(栄治)ぐらいだったと思います」

 埼玉・所沢市小手指にできたプリンスの選手寮。万が一、火災などが起きてもすぐ窓から逃げ出せるようにと平屋の建物で、ひとり一部屋だった。食事はプリンスホテルのシェフがまかない、酒類も常備。至れり尽くせりの環境はありがたかったが、石毛は生活面も「ぬるい」と感じていた。

 案の定、都市対抗野球大会の東京第三次予選は、1回戦で東芝府中に2対11で完敗。敗者復活戦を勝ち上がり、第三代表決定戦に駒を進めたものの、電電東京(現・NTT東京)に7対8で敗れた。石毛は、ただ単に試合に負けたのではないと感じていた。

「我々が負けた相手チームはもとより、東京ガス、熊谷組、リッカー、朝日生命......当時の東京都のあらゆる社会人の古豪チームの方から、『ふざけんな、コイツら。絶対、勝たせねえぞ』と言われているように感じました。名前先行の新参者に対する意地でしょうね」

 チームとして都市対抗には出られなかったが、石毛は第一代表の東芝府中、中尾と中屋恵久男は第二代表の熊谷組に補強され出場。石毛は1回戦の三菱重工名古屋戦、第1打席で2ランを放つ。2回戦の日本鋼管戦でも4打数2安打と活躍し、準々決勝では中尾と中屋がいる熊谷組と対戦。1対4で敗れたが、石毛自身は優秀選手に選出された。

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