斎藤佑樹が振り返る13年前の投球メカニズム「左足の突っ張りは問題なかった。もっと胸椎を柔らかく使えていれば...」 (4ページ目)

  • 石田雄太●文 text by Ishida Yuta
  • photo by Sankei Visual

 僕は1回戦と3回戦に先発して、いずれも負け投手......メチャクチャ悔しかったことを覚えています。僕は主将としてというより、まずピッチャーとして自分が勝ちさえすれば、絶対に優勝できると思っていました。

 春は活躍できなかった(6試合に先発して2勝3敗、ただし防御率は1.54)から、優勝をできなかったんだと思います。エースとして土曜日の先発を託されるのなら、そこで確実に勝てるだけの能力を身につけなければ、結果として主将としてのいい結果も引き寄せられないということを思い知らされました。

 4年春のシーズンを終えて、僕は第5回世界大学野球選手権に日本代表として選ばれました。その時、突然、力を入れずにビューッというイメージのボールがいく感覚が出てきたんです。あのフォームはすごく覚えています。

 結果としては準決勝で初回に(ワンアウト)満塁のピンチを背負って、(5番のジョージ・)スプリンガー(現在はブルージェイズ)に投げた初球のフォークを左中間スタンドへ運ばれてしまいました。

 大学で満塁ホームランを打たれたのはあの1本だけじゃなかったかな......その4点で日本は負けてしまったんですが、でもあの試合、ストレートとチェンジアップのバランスがすごくよかったという印象がありました。なぜその手応えがあったのか、自分でもわからないんですが、ヒザが突っ張るとかは関係なく、身体の前のほうでボールを放せている感じがありました。

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 主将として早慶戦で勝ち点を落として、リーグ優勝を慶應に譲ってしまい、投手としては通算27勝、294奪三振で4年春のシーズンを終えた。すべての宿題を残したまま、斎藤はいよいよ4年秋、大学最後のシーズンを迎えることになる──。

次回へ続く

プロフィール

  • 石田雄太

    石田雄太 (いしだゆうた)

    1964年生まれ、愛知県出身。青山学院大卒業後、NHKに入局し、「サンデースポーツ」などのディレクターを努める。1992年にNHKを退職し独立。『Number』『web Sportiva』を中心とした執筆活動とともに、スポーツ番組の構成・演出も行なっている。『桑田真澄 ピッチャーズバイブル』(集英社)『イチローイズム』(集英社)『大谷翔平 野球翔年Ⅰ日本編 2013-2018』(文藝春秋)など著者多数。

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