斎藤佑樹が振り返る13年前の投球メカニズム「左足の突っ張りは問題なかった。もっと胸椎を柔らかく使えていれば...」
2010年、斎藤佑樹の大学ラストイヤーが始まった。早大野球部の第100代主将として、東京六大学史上6人目となる通算30勝、通算300奪三振のダブル達成を目指して、さらには秋のドラフト会議を経てのプロ入りを見据えて、斎藤は春のリーグ戦に挑んだ。
主将となり初めて臨んだ4年春のリーグ戦だったが、優勝を逃した斎藤佑樹この記事に関連する写真を見る
【300奪三振にはこだわった】
大学での通算の勝ち星については、この頃にはもう固執していませんでした。途中で山中正竹さん(法大)の48勝や江川卓さん(法大)の47勝には追いつけないと思ったからなのかもしれませんが、数字は一つひとつ乗り越えれば勝手についてくるものだと思うようにしていました。
その分、重視していたのはピッチングの内容です。やっぱり150キロは出したかったし、三振をいくつとれたかということも意識していました。だから300奪三振にはこだわっていましたね。
大学3年の時、僕は150キロを超えるスピードを求めていました。それが大学で天井を突き破ったことを示す、わかりやすい答えだと思っていたからです。18歳から22歳になる大学での4年間、身体はどうしたって成長します。
高校時代、技術的に完成度を高めようとしてきたいろんなことも、土台となる身体が極端に変化するとなれば、同じというわけにはいかなくなる。せっかくそれまで身につけていたバランスも見直さなくてはいけません。
当時の僕の一番の課題は、左ヒザの使い方だと言われていました。スピードを上げようとしてフォームに力感を求めた結果、左ヒザが突っ張ることが問題だという声は僕にも聞こえていました。フォロースルーの時、左ヒザに余裕があれば体重が前に乗ってボールを長く持てるし、前で離すことができる。でも左ヒザが突っ張ると、体重が前に乗らないまま、ボールを早くリリースしてしまうため、ボールが高く抜けてしまうというのです。
でも、僕は今もそこに問題はなかったと思っています。むしろ左ヒザは突っ張っていいとさえ思っているんです。これって今から13年前の話ですよね。当時は左ヒザを突っ張って投げるピッチャーはほとんどいませんでした。でも、今はたくさんいます。マウンドが固くなったこともあって、地面からの力をより生かすために左ヒザを突っ張って投げるほうが、スピードが出ることもあるということが明らかになったからです。
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プロフィール
石田雄太 (いしだゆうた)
1964年生まれ、愛知県出身。青山学院大卒業後、NHKに入局し、「サンデースポーツ」などのディレクターを努める。1992年にNHKを退職し独立。『Number』『web Sportiva』を中心とした執筆活動とともに、スポーツ番組の構成・演出も行なっている。『桑田真澄 ピッチャーズバイブル』(集英社)『イチローイズム』(集英社)『大谷翔平 野球翔年Ⅰ日本編 2013-2018』(文藝春秋)など著者多数。