斎藤佑樹が振り返る13年前の投球メカニズム「左足の突っ張りは問題なかった。もっと胸椎を柔らかく使えていれば...」 (3ページ目)

  • 石田雄太●文 text by Ishida Yuta
  • photo by Sankei Visual

 胸椎の硬さは、ウエイトトレーニングのやり方に問題があったのか、あるいはそもそもの成長過程でそうなってしまったのか、正直、よくわかりません。今の選手は胸椎を柔らかくするためのエクササイズをやっています。プロの世界でもチームに理学療法士がいて、胸椎が硬いとよくないという考え方を教えてくれます。

 でも僕が大学生の時には、胸椎を柔らかくするという考え方は主流ではありませんでした。もしすでにその考え方があったとしても、残念ながら僕は聞いたことがなかった。だから胸椎が硬いという自覚もなかったし、そのためのトレーニングもしたことはありません。股関節をうまくたたんで、ヒザを突っ張って、胸椎を柔らかく使えば、それが理想だったと今なら思います。でもその連動がうまくいっていなかったというのが、あの頃の僕のピッチングでした。

【主将として臨んだ初シーズン】

 主将として迎えた初めてのシーズン、春のリーグ戦の初戦の相手は立教でした。例によって、その試合のことはほとんど覚えていません(笑)。記録とか当時の記事を見ると、ああ、そういう感じだった(7回、82球を投げて被安打2、与四球1、失点2、勝ち負けつかず、チームはサヨナラ勝ち)と思い出す程度です。

 当時の記事を見て思い出すのは、あまり力を入れていないのにキレのいいボールを投げられていたな、ということくらい(1回表、斎藤は10球のうち8球ストレートを投げ込んで、そのうちの4球が146キロを記録している)。たぶん低めに投げることと、指にしっかりとボールをかけることを意識していたんだと思います。3年生のシーズンがよくないイメージだったので、それを払拭したいと思って意識的に力を抜こうと考えていたのかもしれません。

 結局、4年の春は優勝できませんでした。早慶戦を前に、優勝の可能性は早稲田と慶應に絞られていました。つまり早慶戦で勝ち点を挙げたほうが優勝するという状況です。でも早稲田は勝ち点を落としてしまい、慶應に優勝をさらわれてしまった。

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