NPB史上5人の天才打者を審判歴38年の名アンパイアが選出「3000安打はできた」「高卒1年目からモノが違った」

  • 水道博●文 text by Suido Hiroshi
  • photo by Sankei Visual

 橘髙淳(きったか・あつし)氏は、2022年シーズン終了までプロ野球史上最長となる通算38年間NPBの審判員を務め、じつに3001試合をジャッジした。これまで多くのスラッガー、安打製造機を見てきただろうが、なかでも印象に残った打者を5人厳選してもらった。

現役時代、通算2119安打を放った前田智徳現役時代、通算2119安打を放った前田智徳この記事に関連する写真を見る

【3000安打は達成できた前田智徳】

 プロ入り6年目の1995年、前田智徳選手(元広島)は右足アキレス腱を断裂。それがなければ3000安打をマークしたのではないでしょうか。単純計算でシーズン170安打を10年間打てば1700安打、続けて130安打を10年で1300安打となり、計3000安打ですから。

 ふつうの打者ならファウルになる内角の球を、前田選手はバットを巧みに操って一塁線フェアゾーンに入れていました。「その球をヒットにできるのか」と、驚きましたね。そういうスイングの軌道を持っていたのでしょうね。

 イチロー選手や松井秀喜選手らも、その打撃技術には一目を置いていたと聞きました。それほど前田選手のバッティング技術は抜けていました。

 右足をかばっているうちに左足も痛め、万全の状態でプレーできなくなってしまった。プロ2年目から4年連続ゴールデングラブ賞、3年連続2ケタ盗塁をマークしていただけに、まったくもって残念です。

1987年に打率.322、30本塁打をマークした吉村禎章1987年に打率.322、30本塁打をマークした吉村禎章この記事に関連する写真を見る

【広角打法と長打力を兼備した吉村禎章】

 私が審判員になった1985年に、吉村禎章選手(元巨人)は打率.328、16本塁打、56打点で、高卒4年目にして巨人のレギュラーとなりました。86年、87年とベストナインを受賞して、押しも押されもせぬセ・リーグを代表する打者に成長を遂げました。

 吉村選手はバットコントロールがすばらしくて、どこにでも打ち分けられる打撃技術を持っていました。ツボにくれば一発もあり、広角打法と長打力を兼備した打者でしたね。

 ただ88年に外野守備中に味方選手と激突して、左ヒザ靭帯を断裂しました。その後、長期離脱を余儀なくされましたが、89年の復帰戦、90年に吉村選手のサヨナラホームランでリーグ優勝を決めた試合は、今でも鮮烈に覚えています。どちらも試合も、たしか相手投手は川崎憲次郎選手(ヤクルト)でしたよね。

 現役後半はおもに代打の切り札として活躍しましたが、通算17年間で964安打。ケガさえなければ2000安打は軽くクリアしていたのではないかと思います。

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