斎藤佑樹「大学で最強のメンバーをつくりたかった」 早実優勝メンバーの退部劇に「冷静でいられなかった」 (4ページ目)

  • 石田雄太●文 text by Ishida Yuta
  • photo by Sankei Visual

 たとえばこれは大場さんに言われたんですけど、「自分の限界をもっと上げろ」と......たぶん、1年のくせに変化球に頼ったピッチングをしていると思ったんでしょうね。そんなまとまったピッチングを目指すんじゃなくて、キャッチボールとか遠投からもっと腕を振るとか、身体全体をめいっぱい使うとか、そういうことを意識したほうがいいよ、とアドバイスしてもらいました。そこから僕のなかでは練習に取り組む姿勢が変わりました。

 大場さんも加藤さんも大学では先発完投が当たり前のピッチャーでしたし、2人を見ていたら大学で活躍するためにはこういう感じにならないとダメだと思っていましたから、いい目標を与えてもらったという感じでした。

 秋の早慶戦ではまた3回戦に優勝のチャンスが巡ってきて、僕が先発しました。早稲田は慶応から勝ち点をとれば優勝だったんですが、僕が1回戦を任せてもらって......(6回を投げて無失点も相手の加藤さんが延長12回を投げきって0−1でサヨナラ負け)。それで2回戦は(早稲田の)松下(建太)さんが完封して、勝てば優勝という3回戦で僕も完封したのかな......そうだ、あの初完封が1年の秋だったか(苦笑)。たしかに5、6回で代わっていた春に比べると、投げるイニング数が増えて、手応えを感じていましたね。應武監督と取り組んできたフォームがこの頃、ようやくしっくりきたのも大きかったと思います。

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 秋のリーグ最終戦で早稲田は3連覇を成し遂げた。1年の斎藤にとっては初の春秋連覇----しかも優勝を決めた早慶戦で斎藤は15個の三振を奪って、リーグ戦初完封を成し遂げた。秋は春と同じ4勝ながら、防御率は1.65から0.78。一度もなかった完投が3試合と、内容の充実ぶりは数字が物語っている。じつは、その進化には明らかな技術の裏づけがあった。

プロフィール

  • 石田雄太

    石田雄太 (いしだゆうた)

    1964年生まれ、愛知県出身。青山学院大卒業後、NHKに入局し、「サンデースポーツ」などのディレクターを努める。1992年にNHKを退職し独立。『Number』『web Sportiva』を中心とした執筆活動とともに、スポーツ番組の構成・演出も行なっている。『桑田真澄 ピッチャーズバイブル』(集英社)『イチローイズム』(集英社)『大谷翔平 野球翔年Ⅰ日本編 2013-2018』(文藝春秋)など著者多数。

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