斎藤佑樹「大学で最強のメンバーをつくりたかった」 早実優勝メンバーの退部劇に「冷静でいられなかった」 (3ページ目)

  • 石田雄太●文 text by Ishida Yuta
  • photo by Sankei Visual

 昔は「地獄の軽井沢」という言葉があったらしく、軽井沢合宿は早稲田の伝統だったそうですが、僕らの時はずっと東伏見で練習に明け暮れていました。それも、同じ練習を先輩たちもやっているから、自分たちもやらなくちゃならない。数をこなすことが優先されるという、今ふうに言えば理に適っていない練習だったのかもしれませんが、納得するとかしないとか、そんな余裕さえありません。とにかく先輩たちについていくのに必死なだけの地獄の2週間でした。

 秋のリーグ戦でも、僕は開幕の東大戦に先発します(7回無失点で勝利投手)。でもじつは、1年秋の印象があまり残っていないんですよね。初めて黒星がついた法政との2回戦(9月23日、先発して6回を投げて2失点も試合は1−2で敗れて、デビュー8試合目にして初黒星)の内容については、まったく覚えていません。

 久しぶりに負けた(早実3年の春季東京大会、準決勝以来)ことで騒がれましたが、夏にアメリカ(ノースカロライナ州)で行なわれた日米大学選手権ですでに負けがついて、むしろスッキリしていましたし(日本がすでに3勝して優勝を決めていた第5戦、5番手で登板して0回3分の2を投げて黒星がついた)、そこは僕にとっては大きなことではありませんでした。

 法政との4回戦? 1勝1敗1分けになって4回戦に先発......だんだん思い出してきた(笑)。2回戦で僕が法政に負けて、でも應武(篤良)監督にすぐチャンスをいただいて、4回戦では初めて最後までひとりで投げきることができました(9回1失点、被安打5、9奪三振、3四死球、137球)。

 その次の立教との2回戦(9回1失点、被安打7、8奪三振、無四球、134球)も完投して、2試合連続完投。たしかにあの2試合には意味がありましたね。先輩たちに助けてもらわなくても大学で勝てるという自信がついたような気がします。

【大場翔太と加藤幹典のアドバイス】

 夏の大学日本代表でチームメイトになった東洋大の大場(翔太)さんと慶應の加藤(幹典)さんにいろいろと教えてもらったことも大きかった。ずっと一緒に練習させてもらいましたが、2人からいただいたアドバイスがすごく参考になったんです。

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