ヤクルト高橋奎二が見据えるWBCのその先「代表に選ばれた以上、今シーズンは結果を残さないと本当にダサい」

  • 島村誠也●文・写真 text & photo by Shimamura Seiya

 ヤクルトの春季キャンプ。沖縄独特ののんびりとした時間の流れるなかで、高橋奎二はWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)に向けて調整はもちろん、取材に追われる日々を過ごしていた。若手だった頃の"ふわふわ"とした姿は消え、心身とも落ち着いた佇まいに頼もしさを覚えるのだった。その高橋に自身初となるWBCへの思いを語ってもらった。

WBCでは第2先発での起用が有力視されている高橋奎二WBCでは第2先発での起用が有力視されている高橋奎二この記事に関連する写真を見る

【松坂大輔からの金言】

── 浦添キャンプでは、取材の数がすごいですね。高橋選手は「野球を、ピッチャーをしているからには目立ちたい気持ちはあります」と常々語っていました。

高橋 うれしい反面、難しいなという思いです(笑)。普段から取材を多く受けている選手たちはすごいなと。自分はしゃべるのがうまくないですし、言葉も出てこないですし......そういう意味で戸惑っています。

── 2月6日には松坂大輔さんから取材を受けていました。

高橋 WBCについていろいろ話を聞くことができました。とくにWBC球については、僕は真っすぐが"真っスラ"になっていたのですが、「向こうは動くボールが基本だから、武器になることもあるよ」と。僕自身は真っスラになることが嫌だったんですけど、その言葉でプラスにとらえていけた部分がありました。

── WBCの記憶についてお聞かせください。

高橋 パッと思い浮かぶのは、小学5年生の時に見た第2回大会(2009年)で、日本が優勝を決めた試合です。ダルビッシュ(有)さんが最後に投げたすっごく曲がったあのスライダーは、僕もピッチャーをやっていたので、とても印象に残っています。ほかにもイチローさんが打った決勝打とか、内川(聖一)さんがレフトへの強烈な打球をショートバウンドで捕って二塁で刺したものとか、試合の流れを変えたプレーというのは、今でもはっきり覚えています。

── 高橋選手にとっては自身2回目の「世界大会」となります。

高橋 あぁ、小学5年の時に世界大会みたいなものに出たことがありましたね(笑)。夏休みに東京の江戸川区で試合があって、僕は6年生のチームに混じって......もちろん記憶に残っています。今はわからないですけど、外国と日本では小学生の年齢の数え方が違い、メキシコとかの選手は中学3年生くらいだったんですかね。とにかくすごく体が大きくて、ほかにもブラジルがすごく強かったことを覚えています。

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プロフィール

  • 島村誠也

    島村誠也 (しまむら・せいや)

    1967年生まれ。21歳の時に『週刊プレイボーイ』編集部のフリーライター見習いに。1991年に映画『フィールド・オブ・ドリームス』の舞台となった野球場を取材。原作者W・P・キンセラ氏(故人)の言葉「野球場のホームプレートに立ってファウルラインを永遠に延長していくと、世界のほとんどが入ってしまう。そんな神話的レベルの虚構の世界を見せてくれるのが野球なんだ」は宝物となった。以降、2000年代前半まで、メジャーのスプリングトレーニング、公式戦、オールスター、ワールドシリーズを現地取材。現在は『web Sportiva』でヤクルトを中心に取材を続けている。

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