辻発彦が初対面の野村克也から言われたまさかのひと言に発奮。「ヤクルトには絶対に負けてたまるか!」 (2ページ目)

  • 水道博●文 text by Suido Hiroshi
  • photo by Sankei Visual

── その後、辻さんは96年にヤクルトに移籍し、野村監督のもとでプレーされます。

 まさかヤクルトのユニフォームを着て、野村監督と一緒にやることになるとは夢にも思いませんでした。そういう意味では、何か縁があったのでしょうね。

 じつは引退後もこんな話があったんです。野村監督が2005年オフに楽天の監督に就任した時、直々にコーチの話をいただきました。ただその時は、2006年に第1回WBCが開催されることになっていて、すでに日本代表監督の王貞治さんからコーチの依頼を受けていました。野村監督の申し出は大変ありがたかったのですが、お断りさせていただきました。

── 辻さんは2007年から中日のコーチに就かれました。

 セ・パ交流戦の時だったでしょうか。野村監督は記者の前でこう言ったんです。「この辻っていう男はな、せっかくワシがコーチに誘っているのに断ったんや!」と。もちろん冗談まじりですが、そんなこともいい思い出です。

【濃密だった野村ミーティング】

── 話は戻りますが、ヤクルトでプレーしていた頃、「ID野球」「野村ミーティング」などがあったと思いますが、どんなことが思い出されますか。

 ヤクルトに移籍したのは38歳になるシーズンでした。米アリゾナ州ユマのスプリングキャンプ。夕食後に毎日1時間以上ミーティングがあるのですが、全部参加しました。毎日ノートにみっちり4ページ、内容を書き込んでいました。

 キャンプの前半は"人生論"で、一野球人である前に一人間であれなど、人生観であったり、振る舞いであったり。当然だと思うこともありましたが、「なるほどな」と考えさせられることもたくさんあって、あらためてノートに書き込むことで初心に戻れた気がしました。

── キャンプの後半は?

 後半は"野球論"で、たとえば「12種類のカウント別打者心理、投手心理」「打者の狙い球10カ条」「打者の4タイプ/A型〜D型」などですね。当時は「しんどいな」と思いながら書いていましたが、いま思うと本当に濃密な時間でした。監督になって、いろいろな場面に遭遇すると、「あの時、ちゃんと聞いておいたのは無駄ではなかった」と実感した次第です。

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