内川聖一が40歳でNPB引退を決断した理由「球の速さ、球種の多さに対応しきれなくなった。受け入れるしかなかった」 (3ページ目)

  • 原山裕平●取材・文 text by Harayama Yuhei
  • photo by Jiji Photo

── 3度出場したWBCは、内川さんにとってどういう大会でしたか。

「国を背負うというのはこういうことなんだなと、感じさせてもらった大会でしたね。印象に残っているのは2013年大会。

 それまでに2回優勝して、今度は自分たちが中心になって優勝することを意識しながらやっていたんですが、そこで世界一にたどり着けなかった悔しさが残っています。僕は前回大会で優勝を味わっていたので、喜びの絶頂から一気にどん底まで突き落とされた感覚でした」

── ペナントレースとは違うプレッシャーはありましたか?

「そうですね。プレーヤーとしての責任は、どの試合でも一緒だと思うんですよ。求められたことをきちんとやるとか、しっかりと結果を残すという意味では。

 ただ、日の丸を背負う責任ですよね。野球に関わっている人、関わっていない人も関係なく、日本人の代表だという一つひとつの責任は、本当に大きかったと思います」

── 2023年開催のWBCで、内川さんが日本代表に期待することはありますか?

「今年(2022年)はサッカーのワールドカップがあって、サッカーの盛り上がりを感じた分、野球も頑張ってほしいという思いで僕も応援したいと思います。各国メジャーリーガーが参戦を表明していますし、間違いなく大会の熱は高まると思っているので、そこで日本代表がどういう戦いをしてくれるのか、楽しみにしています。

 ダルビッシュ有選手(サンディエゴ・パドレス)も、大谷翔平選手(ロサンゼルス・エンゼルス)も、鈴木誠也選手(シカゴ・カブス)も、国のためにという気持ちで参加を表明してくれているのは、応援する側としてもうれしいです。そのなかで世界一になってくれることを期待しています」

◆中編につづく>>「こんなにスライダーが曲がるのか」対戦して驚いた日本人投手とは?


【profile】
内川聖一(うちかわ・せいいち)
1982年8月4日生まれ、大分県大分市出身。2000年ドラフト1位で大分工高から横浜ベイスターズに入団。10年間プレーしたのち、2011年に福岡ソフトバンクホークスにFA移籍する。2008年、2011年と両リーグで首位打者に輝くなど、球界を代表する稀代のアベレージヒッター。2018年にNPB史上51人目の通算2000安打を達成。2020年から東京ヤクルトスワローズで2年間プレーしたのち、2023年より独立リーグの大分B-リングスへの加入を発表する。185cm、93kg。右投右打。

プロフィール

  • 原山裕平

    原山裕平 (はらやま・ゆうへい)

    スポーツライター。1976年生まれ、静岡県出身。2002年から『週刊サッカーダイジェスト』編集部に所属し、セレッソ大阪、浦和レッズ、サンフレッチェ広島、日本代表などを担当。2015年よりフリーランスに転身。

3 / 3

関連記事

キーワード

このページのトップに戻る