内川聖一が40歳でNPB引退を決断した理由「球の速さ、球種の多さに対応しきれなくなった。受け入れるしかなかった」 (2ページ目)

  • 原山裕平●取材・文 text by Harayama Yuhei
  • photo by Jiji Photo

── その状況をどう受け止めていましたか。

「悔しさというよりも、最終的には受け入れるしかなかったですね。ホークス時代に4番を任された時、ホームランを増やしたいとか飛距離を伸ばしたいということを考える時期があったんですが、その時に対応しきれなくなったというのを感じていて。

 でも、まだできるんじゃないか、まだできるんじゃないかと、ここ何年かやってきたんですけど......。結果が出なくなっていくなかで、ちょっと厳しいのかな、と感じるようになりました」

── 結果的にNPB最終所属となったヤクルトでの2年間は、どういう思いでプレーされていたのですか。

「1年目は日本一にもなってくれましたし、2年目もリーグ優勝してくれました。僕自身が全然その場にいなかったにもかかわらず、周りの方がヤクルトの勝利をすごく喜んでくれたんですよね。

 若い頃に、先輩が『勝つことで喜びの輪はどんどん広がっていく』ということを教えてくれたことがありました。レギュラーの時はどうしても、自分の地位を守らなければいけないとか、もらっている年俸に対して見合った活躍を見せなければいけないというプレッシャーもあって、優勝した時はもちろんうれしかったんですけど、ホッとする気持ちのほうが大きかったんです。

 でも、ここ2年は、自分がそこにいなくても周りが喜んでくれる状況を見た時に、本当に優勝することの意味を感じることができました」

── ベイスターズ、ソフトバンク、ヤクルトと22年間に渡ってプレーされましたが、そのなかで一番印象に残っていることはなんですか。

「ひとつ挙げるのは、難しいですね(笑)。うれしかったことで言えば、初めて個人タイトルを獲った時(2008年・首位打者)もそうですし、初めて優勝(2011年・ソフトバンク)したこともそう。優勝旅行も楽しかったですね。

 プロ野球選手として、できるかぎりの経験をたくさんさせてもらったことが、僕のキャリアで一番誇れることかなと思います。WBCで世界一になった(2009年)ことも、なれなかった(2013年・2017年)ことも含め、本当にいろんな経験ができた。

 プラスとマイナスの差は、ほかの人よりもすごく大きかったのかなと思います」

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