斎藤佑樹が明かす早大進学の理由とかけ違えたボタン。「もし高校生に逆指名制度があったなら...」 (4ページ目)

  • 石田雄太●文 text by Ishida Yuta
  • photo by Sankei Visual

 夏の甲子園の僕が投げる変化球は、ほとんどがスライダーでした。フォークはたまに投げるくらいだったのに、アメリカではフォークばっかり投げました。それはフォークの調子がものすごくよかったからでした。甲子園のマウンドはすごく軟らかいのに、アメリカのマウンドって硬いじゃないですか。その硬いマウンドに適した投げ方をすると、フォークがやたらと落ちてくれるんです。それでフォークの味を覚えてしまって......でも、それが落とし穴でした。

 僕のなかでは「調子いいじゃん」って感じだったんです。新しい自分を見つけた、とも思っていました。甲子園ではストレートとスライダーだけで勝った、でもアメリカでさらにフォークを覚えた......大学へ進んでその先、プロに行くためには新しい変化球を増やさなくちゃいけないと思っていましたから、すごくうれしかったんです。でも、じつはあれで自分のリズムが変わって歯車がズレ始めていたのかな、と思うようになりました。

 最近になってトラックマンのような計測機器がいろいろ出てきて、今まで可視化できなかった自分のピッチングをデータで見ることができるようになった時、僕の得意球は何だろうと思って見てみたんです。そうしたら、フォークの回転数とか回転軸がすごくいい感じでした。ああ、フォークがいいんだと思って投げていたら、いい数字が出た時って肩に負担がかかる感じがあったんです。

 そういえば......と思い返してみたら、フォークを落としにいくためにそういう投げ方をして、実際にすごく落ちている時って負担がかかる投げ方をしていたんですよね。トラックマンのデータがなかったら気づかなかったことかもしれませんけど、アメリカで投げた時にフォークの味を覚えてしまったということが、その後にいっぱいあったボタンのかけ違いの最初だったのかもしれません。

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 斎藤は早稲田大学教育学部に合格、神宮のマウンドを目指すことになった。そして背番号16の大学1年生は、東京六大学野球の春季リーグ戦でいきなり日本中をあっと言わせることになる。

(次回へ続く)

【著者プロフィール】石田雄太(いしだ・ゆうた)

1964年生まれ、愛知県生まれ。青山学院大卒業後、NHKに入局し、「サンデースポーツ」などのディレクターを努める。1992年にNHKを退職し独立。『Nunber』『web Sportiva』を中心とした執筆活動とともに、スポーツ番組の構成・演出も行なっている。『桑田真澄 ピッチャーズバイブル』(集英社)『イチローイズム』(集英社)『大谷翔平 野球翔年Ⅰ日本編 2013-2018』(文藝春秋)など著者多数

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