わずか2年で広島を戦力外となった鈴木寛人は、今も「イップス」と闘いながら再びマウンドを目指す (2ページ目)

  • 菊地高弘●文 text by Kikuchi Takahiro
  • photo by Sankei Visual、Kikuchi Takahiro

 とはいえ、ブルペンでの投球を見る限りは明らかにおかしいと感じる点はなかった。練習後、広島のコーチ陣は高橋監督にこんな感想を語った。

「最近のなかでは一番よかったです。それまではフォームがバラバラで......。監督さんの姿を見て、茨城の匂いを感じて投げられたのがよかったのかな」

1年目のキャンプに起きた異変

 鈴木はすでに壊れ始めていた。

 1月の新人合同自主トレまでは、とくに問題なく過ごせていた。だが、キャンプが始まるとすぐ、鈴木の内面にある変化が芽生えた。

「周りの選手がすごいので、『このなかでやっていけるのかな?』というプレッシャーを感じ始めていました」

 同期のドラフト1位は森下暢仁。名門・明治大のエースで、同年10勝を挙げて新人王を受賞してしまうような大物である。鈴木は横目に飛び込んでくる森下のボールに気圧され、さらにキャッチボール相手のボールにも衝撃を覚えた。ドラフト6位入団の左腕・玉村昇悟である。

 球速は140キロ前後でも、「手元で球威が死ぬ球がない」と強烈なキレを感じた。年上の森下だけでなく、同年齢で下位指名でもある玉村もレベルが高い。鈴木の脳裏に、ネガティブなイメージが広がった。

「1年目は体づくりがメインだと考えていましたけど、早い段階で結果を残さないとクビになるとも聞いていました。新人や先輩のレベルの高さを見て、『結果を残さないと』と感じていました」

 キャンプ中盤に入ると、キャッチボールの段階からボールが指にかからなくなっていた。

「普通にスーッと伸びていく球じゃなくて、最初から山なりで。ボールが抜けちゃうので、指にかかる感じがなかったです」

 ボールが抜けないよう、早め早めに動作をつくっていこうと意識すると、さらにバランスが崩れていった。いつしか元の美しいフォームとはかけ離れた、バラバラの投げ方になっていた。

 もはや自分がイップスであることを認めないわけにはいかなかった。シーズンが始まると、鈴木はファーム練習施設でイップス矯正に明け暮れた。チームは遠征に出ても、鈴木は帯同することなく広島で練習を続けた。

「いろいろと試しました。自主練習の時間にも同期に打席に立ってもらって、バッティングピッチャーをしてみたり」

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