92年阪神の快進撃に不可欠だった守護神・田村勤。ケガで無念の離脱も「投手人生のなかでいちばん輝けた」 (2ページ目)

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki
  • photo by Sankei Visual

「先発のみんなが5回を持つようになりましたからね。前年は初回でノックアウトとか、多々あったんですが、投手陣全体、大石さんに指導してもらって成長できたんだと思います。一人ひとり熱心に面倒を見てくれて、"大石イズム"というか、指導の方針もはっきりしていてやりやすかった。なにより、若いピッチャーが勝ち出すとチームが勢いづくんですよね」

 指導者にも恵まれた田村は、5月も2勝6セーブで失敗なし。同31日の巨人戦では先発・仲田が3対0で迎えた8回に一死満塁のピンチを招き、捕逸で1点を献上したあとにマウンドに上がった。走者二、三塁と一打同点の場面。しかもカウント1−1からの交代で、これは自身初体験だった。

「1−1から行ったのは覚えてます。でも、別に深く考えないですよね。ノーツーとかノースリーだったらピッチャー不利ですけど、1−1ってストライクひとつ入ってるわけですから、むしろありがたい。もちろん、気持ち的にはそんなに余裕はないですよ。だけど、投げさせてもらえる、使ってもらえるのがうれしいっていう気持ちが勝ってたんじゃないですかね」

 2番・川相昌弘を三ゴロに仕留め、3番・駒田徳広は「満塁のほうが守りやすい」と歩かせ、4番・原辰徳を中飛に打ちとり3アウト。9回は三者三振で片づけ、これで開幕以来14連続セーブポイントとし、日本記録の17にあと3と迫った。自信の現れか、マウンド上では常にふてぶてしく振る舞い、単に「ポーカーフェイス」とは言えない田村の表情が印象的だった。

「アマ時代から『ニタニタするな』とか、『相手にスキを見せるような態度をするな』とか。よく言われてたんです。『もっと帽子を深くかぶって、表情が出ないように、わからないように』とも言われて。そういう指導をしてくれた方々がプロに入った自分を見てくれてると思ったら、スキは見せられないなと。自然にそんな顔、態度になってたんでしょうね。

 そのうえで、プロという夢の世界で使ってもらって、結果云々考えている場合じゃないだろうと。だから一球一球、すごく集中できたと思うんですよ。使うのは監督だし、結果をいろいろ考えてたらやっていけないんで。結果を出せるように最大限の努力をして、絶体絶命のピンチで出ていくのが、自分の仕事だと思い込んでました」

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