「オリエンタル・エクスプレス」郭泰源の功績。台湾人選手の力を証明し、日本球界との「橋渡し役」になった (2ページ目)

  • 浜田哲男●取材・文 text by Hamada Tetsuo
  • photo by Sankei Visual

――それでも、西武が黄金時代を築いた時の郭さんの貢献度はやはり大きい?

石毛 個人タイトルは獲っていたのかな......最多勝には届かなかったと思うけど、最高勝率は獲っていましたよね(1988年、1994年に同タイトルを獲得)。負けてないということは、チームに貯金を作ったピッチャーですから貢献度は大きいですよ。完封も多くて(通算13年で24回)、抑える時は完璧に抑えてしまうピッチャーでした。

――西武在籍13年で通算117勝。もっと勝てたと思いますか?

石毛 彼のポテンシャルを考えればもっと勝てたと思います。ただ、細い体でずっと投げていましたし、彼が痛めていた肩や肘はピッチャーの生命線ですから。そのあたりを大事にしながら、という感じだったんじゃないですかね。

――ちなみに、プレー以外での思い出に残っている郭さんとの交流はありますか?

石毛 確か泰源は、1993年のシーズンオフに結婚したのかな。台湾で結婚披露宴が行なわれたんですが、私は西武の選手代表として招待されたんです。

 泰源の奥さんが女優さんで、5人くらいいた介添人も全員が女優の方でした。泰源のほうも介添人が5人ぐらいいたんですが、その中には元巨人の呂明賜もいたりしてね。そういった方々を前にしてステージの上からスピーチをさせてもらったのですが、いい思い出です。

――現役引退後は台湾のプロ野球チームや代表の監督も務め、2013年には盟友の秋山幸二監督が率いるソフトバンクの一軍投手コーチに就任するなど、指導者としても活躍されています。

石毛 泰源が指導者になってからはなかなか会う機会がないんですが、監督やコーチとしても国際大会に出場して、台湾の野球をアピールしていましたね。西武で長く活躍して、日本に台湾人選手の力を知らしめたことも含めて、台湾球界にとっては大功労者じゃないかな。同時期に活躍していた中日の郭源治やロッテの荘勝雄もそうだし、彼らの活躍で台湾人選手が注目され、日本で活躍できる土壌ができたんじゃないかと思います。

ソフトバンクの投手コーチになったのは、秋山と親しい間柄ということもあるだろうし、監督や投手コーチとして台湾代表が勝ったり負けたりという感じで、チームから離れるタイミングで秋山から「ちょっと日本に来てくれないか?」と声がかかった感じだったんじゃないかな。あと、現在オリックスで投手コーチを務めている高山郁夫も、同時期にソフトバンクの投手コーチをやっていたはず。3人は同じ歳で、現役時代は西武で同じ窯の飯を食べていた仲ですから、相通ずるものがあったんでしょう。

――西武時代に同僚だった渡辺久信さんや石井丈裕さんは、郭さんとのつながりもあって台湾プロ野球の選手や指導者として活躍されました。

石毛 日本の野球を台湾で広げていこう、といった気持ちがあったのかもしれません。泰源は現役時代もそうだし、引退して指導者になってからも日本と台湾の"橋渡し役"となっていますね。今後も両国の野球の発展に貢献していってほしいです。

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